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改めて読書について 津村記久子

 本を読むことに未(いま)だに苦手意識がある。まず、最初の五ページぐらいの間に起こっていることはほとんど覚えていないので、読んでいるうちになにがなんだかわからなくなることがほとんどだし、途中でも、自分の苦手なトピックだったりとか、複雑な説明が続くとよくわからなくなる。ちなみに、苦手なこととは、法律や数字、科学的なことに関する記述だ。ある小説を読みながら、自分が読みやすい記述とそうでない記述に分けてみたことがあるのだが、不倫に関する文章は一回で理解できて、裁判に関する文章は八回ぐらい読まないとよくわからなかった。自分にとって、不倫は可読性が高くて、裁判は可読性が低いということなのだろうか。どうしても内容によって理解度にばらつきがある。

 それでも仕事で読む本は、細かくメモをとったり、わかるまで読み返したりしてなんとか理解の体裁を保っている。問題は純粋に楽しみで読む本だ。好きで読む本でメモをとるような工夫はあまりしたくない。結局、最近になって「わからないところは何回も読み返していい」と決めた。「読み返すべき」じゃなくて「読み返していい」なのは、自分を叱るのではなく、自分のアホさを受容したいからだ。

 自分の集中力が下がっていくことも認めるようになった。そういう時に苦手な記述にぶつかって読み飛ばしてしまうと、その先を読んでも何が起こっているのかよくわからなくなってしまう。そういう時はやっぱり「読み返していい」し、読むことをやめてしまってもいい。

 こんな年になってまでわからなくなるか? という恥の意識があったのかもしれない。序盤やわからない部分を何度も読み返すことで、ある本全体の読書の濃度が偏ることにも変な忌避感があった。読書も行動で、運動なんじゃないかとも思う。最初からは調子が良くないことも、苦手な動作も、途中で疲れてしまうこともあるのだ。こんな年になったので、もうそれを受け入れたい。=朝日新聞2024年814日掲載