中学生のキヨカは、小さい頃から他の人には見えない「気」がはっきり目に見える。その能力を知っているのは母親と、近所の友(とも)おじさんだけ。違いを抱えながら、家族や近所の人とたわいない話をすることで思春期を生きていく。
吉本ばななさんの新刊「下町サイキック」(河出書房新社)は、特殊能力を持つ少女を主人公にしながら、生き抜くためのささやかだけれど強固な術を教えてくれる小説だ。
「サイキックはメタファーなんです」と吉本さんは話す。「いまは、みんなと同じが求められますよね。何か人と違う能力、特徴があったときに治さなきゃと思われてしまう。そういうなかでこの小説が、気持ちの行き場がなくなってしまった人たちの役に立てばいいなと思っています」
キヨカの能力は、治されるどころか大事にされる。友おじさんは言う。〈その力はとても大切なものだ。(中略)静かに育てて、鍛えたほうがいい〉
物語の舞台となっている下町は、吉本さんがかつて住んでいた東京・千駄木がベースになっている。「良い大人たちがたくさんいたんです。みんながみんなをちょっとずつ気に掛けている。そういう下町の空気を小さくでも残しておきたかった」
作品が伝える生き抜く術に、大げさなものは一つもない。〈昨日誰々さんに会ったよ、あっそう、そんないちばんどうでもいいこと。人はそれを毎日誰かに告げていないとおかしくなってしまう生き物なんだと思う〉
ほんの少し人に肩を預ける勇気が、生きることに直結している。
キヨカの両親は離婚し、離れて暮らす父親は自殺未遂をする。はたから見れば大変な環境にある子供だが、自分を不幸だと思っていない。生きることの心もとなさ、苦しさと、生きることの喜びが共存する。吉本さんの小説に通底することでもある。
「大変でも、人生は生きるに値すると思っているんです。私自身、いろんな人を亡くしているから。他者に対しても、生きてればよかったのに、生きていてほしいな、と思う。たとえ憎しみ合っていたとしても、生きてるほうがいい。やっぱり、人生ってすばらしいものなんですよね」
それはそのまま、吉本さんが小説を通して伝え続けようとしているテーマでもある。「自信を失ってしまった人が少しでも元気になる糸口になれたらいい。できれば自殺するのを10分間だけ後ろに延ばしたい。その間に気が変わってくれたらいいなと思ってるんです」
あとがきで〈新しいものが何も入ってなかったらもう引退したほうがいいな、と思っていました〉と記した。40年弱の作家生活は、常にその闘いの繰り返しでもある。「自分で自分に飽きちゃうから。自己模倣で人からお金を取るのはやだなあって。もしそうなったら、作家をやめてひそかに占いをするしかないかな」
いまの空気に触れて、新しい小説が生まれた。時代とともに変化、進化し続けてきた。吉本さんに占ってもらえる日は、まだ遠そうだ。(田中瞳子)=朝日新聞2024年8月14日掲載