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映画「箱男」主演・永瀬正敏さんインタビュー スマホにとらわれた現代「誰もが『箱男』になる可能性」

永瀬正敏さん=松嶋愛撮影

時代が原作に追いついた

――この作品は27年前の1997年に永瀬さん主演で映画の制作が決定したものの、クランクイン直前に撮影が頓挫してしまった「幻の企画」でした。

 あまりにも歴史が深いので、ちょっと他にはない作品だと思います。27年後に同じ原作を同じ監督、同じ俳優が作ることはそうそうないと思うし、今後も出てこないと思う。頓挫していた27年の間も、ただ「今回資金が集まりました、じゃあ作りましょう」ということだけではない、さまざまなストーリーがあったので、特別感がありすぎる作品になりました。

――原作は約50年前に書かれていますが、どんな印象を持ちましたか。

 最初に出会ったのは27年前だったので、今ほど年齢を重ねておらず、どこまで作品を根本までしっかり理解できていたかは分からないですが、とにかく衝撃でした。視点がどんどん変わっていく文体なので「これは今、誰の言葉で読んでいるんだろう」と最初に読んだ時は少し混乱しながら読んでいました。

――時を経て改めて読んでみて、感じ方や受け取り方に変化はありましたか。

 原作が書かれた50年前は想像もできなかったような世界が現実に近くなっているので、時代が追いついたんだなと思いました。これは箱にとらわれた男の物語ですが、今はだいたいの人がスマホにとらわれていますよね。たったひとつの段ボールをかぶるということだけで「見る・見られる」「監視する・される」ということを表している原作、それは現代の状況にとても類似している。安部公房さんという方は予言者なんじゃないかなと思いました。

 もしかしたら安部さんはそこまで狙っていたんじゃないかと思うぐらい「今」だったんだなと思います。もちろん、27年前にもやってみたい物語と世界観ではありましたが、いろいろなものを経験し、さまざまなテクノロジーができた現代だからこそ「箱男とはなんぞや」ということを分かってもらえる確率が上がっているんじゃないかなと思います。

―― 以前、石井(岳龍)監督は、安部さんとお会いした際「映画にするなら娯楽にしてほしい」という要望を受けたそうですね。27年前と今回の脚本では何か違いはありましたか?

 27年前の方がより娯楽性の強い印象を持つ脚本だったと思います。さっき言ったように、時代が原作に追いついてきているので、葉子さんのキャラクターなど多少デフォルメされた部分はありますが、今回の方がより原作に近く、よりリアリティーを持って観ていただけると思います。

 当時は連絡手段もFAXとかでしたが、今ではスマホやパソコンも1人1台の世の中になった。匿名性に対する関心や実感も今の時代の方が近くなっているので、そこは27年という時間が必要だったのかもしれないです。

――ニセ医者と葉子がいる部屋を外からのぞこうとするときに「わたし」が自撮り棒のようなものを使ったり、葉子がキックボードに乗ったりと、現代らしさも取り入れられていました。

 原作では、自動車のバックミラーや自転車を使っていましたが、おそらく石井監督があえて現代性みたいなものを入れて、スクリーンの中と外、原作が書かれた時代と現代というコネクションを作られたのだと思います。

箱に入ると独自の宇宙

――完全な孤立・匿名性を得て、社会の螺旋から外れた「本物」の箱男となるべく一歩を踏み出した「わたし」を演じるにあたって、どのように役作りをしたのでしょうか。

 「箱をかぶること」です。27年前も同じことをしたのですが、結構いろいろなことがスムーズにできるんですよ。さすがにトイレとお風呂に入るのはかぶったままではできないですが(苦笑)。「わたし」は冒頭から箱をかぶっているので、とりあえずその世界の中に身を置いてみよう、経験値に追いつこうと思ったんです。

 実際に箱をかぶると分かるんですけど、中にいると音の聞こえ方も空気の流れも違ってくるので、空間がたった一つの段ボールで変わるんです。そこで客観性も持てるし、独自の宇宙が展開して「どっちがリアルなの?」ということになる。そこが安部さんのすごいところであり、ちょっと恐ろしくもあり、楽しくもある。しばらくかぶっていると、どんどん心地よくなってきて「この心地よさって危険じゃない」という匂いを感じてくるんです。

――それを「危険」だと感じなかった方が、ある意味、怖さを感じます。

 そうですね。映画の中でも「わたし」は箱男にあこがれて、全てをかなぐり捨てて「箱男」になっていますが、その一方でとても人間っぽいんです。匿名性を求めて箱男になって、外の世界をのぞきながら、見たものや思ったことをメモに書いて自分の存在証明を残している。それに、葉子さんと会ったら「ちゃんと服を着なきゃ」とすぐ箱を脱いでしまうしね(笑)。そんな風に揺れてしまうところがとても人間っぽいなと思うし、きっと人間ってみんなそうだと思うんです。

――私も実際に撮影に使われた「箱」に入ってみたのですが、中が暗い分、のぞき窓から見える外の世界がよく見渡せて、不思議と妙な安心感も覚えました。

 見られない安心感や匿名性の安心感というのは僕も感じました。風も箱に1回当たってから流れてくるので、ぜひたくさんの人に一度は体感してもらいたいです。

必死に戦っている姿が笑いを誘う

――箱男を襲撃してくる「ワッペン乞食」や「ニセ医者」とのアクションシーンは、シュールさと滑稽さ、互いの必死さも相まっておもしろかったです。

 そう言っていただけるのは嬉しいですね。あのシーンは役者全員が必死でした。石井監督の現場って「大体こんな感じでやればいいだろう」が正解じゃなく、リミッターを外したところに監督の求めているリアルがあるから、みんな真剣にやっているんです。なので、その姿が見ていただく人の笑いを誘うのはとても本望なんです。

 箱男の武器がワニのぬいぐるみ というのもまた素敵なんですよね。あそこのシーンは「バトル」と台本に書かれているけど、実際に体験してやってみないとわからない部分がいっぱいあったので、やりながらつかんでいった感じでした。箱男の姿だとひじからしか腕が出ないので、普通のようには殴れない。だから箱に入って実際に動いてみないと殴り方も分からないんです。浅野くんが拳銃で狙うシーンも、どうすればこの長さの銃をすぐに出せるだろうとか、お互い何度も練習しながら答えを出していきました。

――最初の頃は、箱男の顔が歌舞伎の隈取のように赤や緑色で塗られていましたね。

 もしかしたら、箱男になることのビハインドのような、何かの意思表示なのかもしれないですね。「わたし」という存在がここにはっきりいるのに「箱の中からのぞかれている君たちは一切気づかないでしょう。だからこっちの方が優位なんだ」ということや、箱をかぶって生きていくことなど、いろいろな意味での意思表示だったんだと思います。

――それがふとなくなった時に「わたし」の中で何か変化があったのでしょうか?

 経験値がものを言って、自分がそれをしなくてもスムーズに箱男になっていると信じられた瞬間なんじゃないかな。もしかしたら、ただ楽しんで遊びでやったことかもしれないけど、監督は形や色の乗せ方にとてもこだわりましたね。実際に暗闇の中、手で塗っているので、キレイになりすぎても良くないけど力強さはなきゃいけない。原作とは少し違う塗り方なのですが、僕の中ではもっと外に行く、上に上がっていくような感覚でした。

――なぜ「わたし」は箱男という生き方を選択したと思いますか?

 理由は分からないですが、僕が監督と一番話し合ったのは、元々そういう性質を持った男が偶然箱に出会って入ったのではないということでした。おそらく「わたし」はごく普通の人だったんですよ。カメラマンとして夢を見たり、いろいろな壁や現実とぶち当たったりして、心の中にちょっと隙間や疲れが出た時にたまたま意識外で写真の中に映り込んだ「箱」と出会った。そんな状況の時、その箱が目の前に現れたんです。ちょっとした興味から入っていったので、誰もが「箱男」になる可能性があると思うんです。

芝居の垢をノンフィクションでそぎ落とす

――ふだんはどんなジャンルの本を読みますか?

 原作ものの作品をやらせてもらうこともあるので、その都度出会った作品の原作を読むことが多いです。今は27年『箱男』と一緒に過ごしていますが、例えば西加奈子さん原作の作品をやるときは西さんの作品に深く触れたいと思うし、「戦争と一人の女」という作品で坂口安吾さんをモデルとした役を演じさせてもらった時は安吾さんに染まりたいと思いました。

 そういうことが多いので、自分から物語に手が出ることはあまりないです。フィクションの場合、どうしても「これを映像化するのは大変そうだな」とか「あの人が演じたらどうなんだろう」みたいな読み方をしてしまうから、純粋に楽しめないんですよ。そこが僕のプロフェッショナルとしての足りないところで…。ドキュメンタリーなどのノンフィクションに触れることの方が多いです。役者をやっていると、どうしても「芝居の垢」みたいなのが溜まってしまいますから。それをリアリティーというか、ノンフィクションの感動でそぎ落としてもらっている感じです。