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今井むつみ『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』 わかり合えないこと認め合う

 なぜあの人とは分かり合えないのかという悩みは尽きない。本書は、認知科学の観点から多くの書籍を世に送り出してきた著者が、コミュニケーションのエラーが起こるしくみとその解決策について分かりやすく説明した本だ。心理学について解説した書籍は山ほどあるが、それでもなお「すれ違い」が絶えないのは、対人スキルは専門家しか知らないものではなく、誰もが“肌感覚”で身につけているからなのだろう。誰もが自分のことは自分が一番分かっていると信じているが、自分の思考のクセに気づくのが一番難しい。本書を読むとそれを思い知らされる。

 本書では、脳についての言及が少なかったので少し補足しておこう。脳はとにかく省エネがしたい臓器だ。コンピューターのように逐一処理していては無駄が多い。そこで脳が発明した驚きの方法が、過去の記憶や経験からあらかじめ「世界のモデル」を作っておき、その世界を見るという大胆な戦略だ。私たちは脳が作った仮想世界を生きている。生の情報は使わずに、見たいと思ったものだけを見る。多くのすれ違いはここから始まる。本書では、そんな「思考のショートカット」から生じるエラーの例も豊富に紹介されている。

 そんな脳同士、そもそも分かり合えるはずもない。でもそれでいいのだ。表面上分かり合ったようなふりをするよりも、分かり合えないことを認め合うことが重要だ。それには粘り強い「脳の持久力」が求められる。昨今、聞けば答え「のようなもの」が簡単に手に入るが、人間関係には答えがない。SNS炎上のように、失敗したら二度と立ち直れないくらいに叩(たた)きのめす風潮も、短絡的に答えを求める誤った効率主義が根底にあるような気がしてならない。試行錯誤を許容する社会が求められる。その秘訣(ひけつ)が本書には詰まっている。=朝日新聞2024年8月24日掲載

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 日経BP・1870円。今年5月刊。10刷9万部。「コミュニケーションとは何かという根本的な問いを扱っており、場面に応じたノウハウを紹介する本より新鮮だったのではないか」と担当者。