エッセー集は約7年半ぶりで、書き始めて20年弱になる。メールなどで文章を書くことが苦手で、克服するために筆を執ったのがきっかけの一つだった。
他の表現と異なる文筆業の魅力は、「自分と対話し、自分を見つめ直すこと」と語る。同時に、一番孤独な仕事だとも感じている。
エッセーの書き方にも流儀がある。単に面白いエピソードを並べたり、出来事への感想を書いたりするのではなく、徹底的に突き詰めてから文章に落とし込んでいる。
「例えば、『嫌いな人』だと感じても、よく考えるとそうでもないことがよくあります。雑念や雰囲気、過去の記憶に左右されがちだな、と。だからこそ自分と向き合うことを大切にしています」
コロナ禍や進化する音楽制作、新生活などをつづりながら、自身の心の内側を真っすぐに見つめた27編。その中で印象的なのは、孤独との向き合い方だ。
順風満帆だったわけではない。幼い頃から孤独や疎外感を常に感じてきたという。「周りの人が思う『普通』と、自分の感覚が違っていた。間違って地球に来てしまった宇宙人のような感覚がずっとあった」
中学生の時に音楽や演劇といった表現活動を始めて、自分の孤独感を癒やし、仲間を見つけることにもつながった。
やがて、それらが仕事となり、忙しい日々を送る中で、孤独感は消えるどころか、逆に膨れ上がったという。特に、出演したドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(16年)、作詞作曲した主題歌「恋」は社会現象となり、自身を取り巻く環境が変わっていった。「周りに人が多ければ多いほど、より一層孤独を感じることが増えた」。そして、こんな結論に至ったという。「孤独を感じるのは、人が一人ひとり異なる存在であることの証明であり、だからこそ、孤独であることが自然なことなのだと思った」。続けてこう語った。「仕事仲間や家族と何げない時間を過ごしている時に幸せや連帯を感じるのは、孤独を抱えているからこそ。人のぬくもりが感じられるようになった」
身近な人の死をつづった文章からは、死生観の変化も垣間見える。
20代のころは、「死に対して少しロマンを感じるというか、ドラマチックなものとして捉えていた部分があった」。だが31歳で、くも膜下出血と診断され、開頭手術を受けた。その後、コロナ禍を経て、さらに年を重ね、親しい人々とのいくつもの別れを目にするなかで、死に対する見方が変わってきたという。
「世の中、大変になっているし、日々の生活は結構つらい。でも、そのつらさは生きている時にしか感じられず、死の先には何もないんだなと思う」。そんな意識からつづられる文章からは、かけがえのない日常が感じられる。(宮田裕介)=朝日新聞2024年10月2日掲載