一枚のイラストに魅せられて
―― おふろを舞台にしたファンタジー絵本は、どのようにして生まれたのでしょうか。
麦田あつこ(以下、麦田) いちろうさんがSNSに投稿していた、おふろの蛇口のイラストを見て、あまりに素晴らしくて衝動的に連絡を差し上げたのが始まりでした。
いちろう 2022年11月のことでしたね。
麦田 いちろうさんの絵は視点がとてもユニークで、脳がほわ~んとするような、生理的な解放感があるんですよね。その気持ちよさを体感できるような絵本が作れたらいいなと思って、おふろの絵本を作りませんかとお声がけしました。
いちろう 連絡をいただく少し前に、自分でも絵本に挑戦してみようかなと思って、おふろの絵本のラフを作っていたんです。偶然ですが、そんなタイミングで声をかけていただいたので、ぜひお会いしたいですとお伝えして。当時住んでいた京都まで会いにきてくださったので、おふろの絵本のラフを見ていただきました。
―― 最初は作家・麦田あつこさんとしてではなく、編集者・沖本敦子さんとしてお会いしたのですね。
麦田 蛇口の絵に魅せられて、そのあたりの区分けは曖昧なまま、衝動的に会いに行ってしまったのですが、その後やりとりを重ねるうちに、いちろうさんの世界がふくらむようなテキストを私が担当させていただき、さらに編集の方に入ってもらうという進め方がよいのではないかということになりました。それで、ブロンズ新社に企画を持ち込み、編集者として佐々木紅さんに入ってもらって、企画が本格的にスタートしました。
―― 制作はどのように進めていったのですか。
麦田 いちろうさんの絵ありきで、いちろうさんと話し合いながらお話を作っていきました。
いちろう 僕の意見もくみ取りながら、新しい世界観のお話を書いてくださって、めちゃくちゃワクワクしましたね。描きたい絵がたくさん描ける!とうれしくなりました。
バスボールを入れて異世界へ
―― おふろの絵本はたくさんありますが、バスボールが登場するのはかなりレアですよね。
麦田 バスボールをきっかけに異世界に入り込むという展開は、いちろうさんのラフに元からあったので、それを生かしました。
いちろう 子どもの頃は、おふろってちょっと面倒だなと思っていたんです。でも大人になってから、バスボールや入浴剤を入れる楽しみを知って、おふろが好きになりました。最近は、中からおもちゃが出てくるバスボールとかもありますよね。それだけで面倒なおふろも楽しくなるよなと思って、バスボールをお話に盛り込みました。
麦田 私は子どもの頃から長風呂派だったんですよね。湯船で何回でんぐり返しできるか挑戦したり、ぎりぎりまで潜って蓋をしたりと、おふろでずっと遊んでいる子どもでした。指先がふやけるまで入っていて、よく親から心配されていましたね(笑)。
自分がそういう子どもだったので、子どもが一人でおふろに入っているときって、結構いろんなことをして遊んでるんじゃないかなと思っていて。そのうちに時空が歪んで異世界に行っちゃう、みたいな感じが、いちろうさんの絵の雰囲気とぴったりはまって、『おふろ』の物語ができあがっていきました。
―― バスボールを入れる前には、儀式のように髪や体を洗うシーンが描かれています。おふろの椅子に正座している姿がかわいいですね。
麦田 このシーンは議論があったんですよね。子どもはこんなことしないですぐ湯船に入るんじゃないかという意見と、いやいや、身を清めてから入水したい子もいるんじゃないかという意見があって。いろいろ話すうちに、このバスボールは何かが起こる特別なものだとこの子は思っているのだから、やっぱり身を清めるんじゃないかということで、このシーンを入れることにしました。
心と体をゆるめる絵本
―― 絵を描いていて特に楽しかったのはどんなシーンですか。
いちろう 冒頭に登場するお店“ふしぎや”は描いていて楽しかったですね。僕は今、生まれ育った大分で暮らしているんですが、地元にはこんな瓦屋根の古い建物がまだ残っているんです。酒屋さんや荒物屋さんを参考に、和製LUSH(※)みたいな感じで、おふろのおもちゃやバスボール、おふろグッズを何でも扱っているお店という設定で描きました。
※LUSH(ラッシュ)……入浴剤「バスボム」で知られる、英国生まれのナチュラルコスメブランド
―― おふろもタイル張りでレトロ感が漂います。
いちろう リフォームする前の実家のおふろや、京都で住んでいた家のおふろがこんな雰囲気だったんです。蛇口も、今風の蛇口だと顔が映らないので、この形がベストなんですよね。自分が好きだなと思うおふろの要素を全部詰め込んで描きました。
―― イラストのお仕事で、ささやかな日常のひとこまを描くことの多いいちろうさんですが、ファンタジーの世界を描くのは大変ではなかったですか。
いちろう ファンタジーの世界を描くのも好きなので、楽しんで描きました。麦田さんから“おゆにんげん”という言葉をいただいて、ふわっとイメージが湧いてきて。最初“おゆにんげん”はもうちょっと不気味な感じだったんですけど、麦田さんも編集の佐々木さんも全然気にせず自由に描かせてくれたので、好きなように描かせてもらいました。
麦田 とにかくずっと楽しそうに、ストレスフリーで描かれていましたよね。「絵を描くのが本当に好きなんだな」ということがラフの線から伝わってくるので、こちらもうれしくなりました。素晴らしい画力をお持ちなので、原画が上がってくるのがとても楽しみでした。
いちろう 初めての絵本でこんなにずっと楽しいとは思いもよらなかったので驚きましたし、これからも絵本を作りたいなと思いましたね。
――『おふろ』をどんな風に楽しんでもらいたいですか。
麦田 今は、子どもも大人も忙しいじゃないですか。だからこそ『おふろ』は、情報を詰め込むのではなく、心と体がゆるんでいくような絵本にできたらと思って作りました。
いちろうさんの描く優しく伸びやかな線を見ていると、脳のこわばりが、ほわーんとゆるんで、気持ちが解放されていく。お湯に入ったときの「とろん」「たぷん」とする感じや、ゼリーのお湯の上を「ぼよん ぼよん」と弾む感触を、リラックスして感じてもらえたらうれしいです。