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松家仁之さん「天使も踏むを畏れるところ」 象徴天皇制の皇居宮殿、新たなデザインを阻んだものは

松家仁之さん

 もともとは新潮社の編集者だった松家仁之さんが2012年に発表した「火山のふもとで」は、いきなり読売文学賞を受賞する鮮烈なデビュー作だった。でも新刊の「天使も踏むを畏(おそ)れるところ」(新潮社)を読むと、よくわかる。最初の作品は、松家さんが描きたかった大きな物語の、ごく一部分にすぎなかったのだと。

 デビュー作は、「先生」と呼ばれる老建築家のもとで建築を学ぶ青年の物語だった。新作の舞台は、1960年代へとさかのぼる。

 主役は村井俊輔という気鋭の建築家。空襲で焼け落ちた皇居の宮殿を、新たに設計しなおす仕事を宮内庁から依頼される。

 「火山のふもとで」を読んだ人は、語り手の青年が「村井設計事務所」で建築を学んでいたことを思い出すかもしれない。ふたつの小説には多くの共通する人物が登場し、刊行順とは逆になるけれど、物語の流れがきれいにつながっている。デビュー作を読んでいない人は、新作から読み始めてもよさそうだ。

 「『火山のふもとで』を書き始めたら、新宮殿の話は一緒には書けないなと思ったんです。若い建築家が老大家のもとで学ぶ話だけで、もう書くことがたくさんあって」と松家さんは振り返る。

 「それともうひとつ、新宮殿についてはさまざまな史料に基づいて書かなければいけない。『火山のふもとで』とはだいぶ違う書き方をする必要があった」

 「天使も踏むを畏れるところ」は、建築家の吉村順三(1908~97)が皇居新宮殿の設計にかかわった史実に沿って物語が展開する。

 「膨大な史料からわかるいろいろな情報から物語が生まれ、史料にはない余白の部分を使ってフィクションをさらに広げる、という感じでしょうか。だから村井は吉村順三をモデルにしてはいますけど、あくまでもフィクションはフィクションなんです」

 敗戦で天皇が「象徴」となったことを、戸惑いながらも国民が受け入れようとしていた時代。新しい宮殿は「畏れつつ見上げるのではなく、気安い笑顔で集まる場所にならなければ」と村井は考えるが、その思いは、見えない何かにことごとくはね返される。

 村井の前に立ちふさがったものは、いったい何だったのか。そのヒントは、「畏れつつ見上げるのではなく」の「畏」という文字にある。

 「天使も踏むを畏れるところ」という少しいかめしい書名には、元ネタがある。20世紀英国の作家E・M・フォースターの小説「天使も踏むを恐れるところ」。詩人アレキサンダー・ポープの「愚か者は、天使も足を踏み入れるのをためらう場所に突進する」という警句に由来するタイトルだというが、注目したいのは、松家さんが「恐」ではなく「畏」という字を使ったことだ。

 長く「畏れおおい」存在だった天皇や皇室が、国民にひらかれた存在に転じることの難しさ。戦後日本に突然降ってきた民主主義という考え方を、社会が受け入れていくことの難しさ。気鋭の建築家が直面したのは、時代の転換期のそうした困難だったのではないか。

 そんなことを考えていたら、松家さんがふと、この「天使」は「天子」でもあるんですよね、と言った。

 「周囲だけでなく、天皇自身も天皇という存在のありようを畏れていたかもしれないなって」

 物語の舞台となった60年代から半世紀以上。社会はどれだけ変わり、どれだけ変わっていないのか。緊迫の人間ドラマのあとに、時代を超えた問いが残る。(編集委員・柏崎歓)=朝日新聞2025年4月16日掲載