
陰影に富む情景描写はしれっと飛躍し、ウソかマコトか不明な話で読者をけむに巻く。文筆家・写真家の平民金子さんのエッセー集「幸あれ、知らんけど」(朝日新聞出版)。子育てという「無敵の期間」からの過渡期にあたる、詩情に満ちた日々の記録だ。
全3章からなる本書の第1章には、朝日新聞の朝刊関西面と夕刊「考える」面で計3年間連載したコラム「神戸の、その向こう」を収録した。800~1200字ほどの紙面の枠に文章をはめ込む作業を、「歌を1曲仕上げるつもりでやっていた」と振り返る。
幼い我が子と並んで見た景色が中心だが、いわゆる子育てエッセーではない。なじみの水族園が取り壊されることに悪態をつき、雨のプールに浮かびながらうどんの天かすを思う。「離陸して徐々に高度を上げるよりは突然どっか違うところに行ってるみたいな、夢かと思えば覚めるでもなくぷつっと切れるみたいなのが、自分の好み」。過去と未来、現実と虚構を瞬時に往還する文章は、散文でありつつ詩のようだ。
「大谷翔平選手が花オクラ素材のバットを愛用している」と書いた回は、担当記者と一部の読者を戸惑わせた。新聞とは基本、事実を書くもの。でも、たとえば児童文学なら空から豚が降るし、雲の鯨に乗って旅もできる。「もうちょっと文章は自由であっていい。ウソをつきっぱなしにしておくのは、大事なことやなと思ってます」
第2章では、連載の続きの日々が描かれる。再整備を経てオープンした水族園を子と訪れて「ニューワールドやな」とつぶやく平民さん。
「ネガティブなことを書いても、最後には矢印を上に向けとかなあかん」。それは、いつかこの本を読むであろう子のための、祈りにも似たウソかもしれない。
そんなまなざしは「幸あれ、知らんけど」というタイトルにも宿る。子の同級生や、親しく話しかけてくる近所の子供たち、全員が幸せばかりの人生を送れるほど世の中は甘くない。「楽しく生きていってほしいなとまじめに思えば思うほど、僕は関係ない人間なんで。もう、知らんけど、としか言いようがない」
2000年代前半から、インターネット上で日記を書いてきた。神戸市広報課のサイトの連載「ごろごろ、神戸」では、ベビーカーを押しながら見る街の風景を描き、書籍化もした。
「子供が生まれると、書き手ってアガるんです。格好のネタができて、スーパーマリオでいうところの“無敵の音楽”が流れている状態」。子育てのステージが変わりつつある今、「書き手としての自分が静かに終わっていくんじゃないかな」と漏らす。「後はもう、頼りないマリオがポン、といるだけ」
自信をなくしているのだという平民さんは、なぜか探検家・角幡唯介さんの本と自著を比べはじめる。「角幡唯介はチベットの峡谷で体中ダニにかまれてんのに、宿でアリに指の股をかまれたぐらいでピーピー書いて。紙資源の無駄っていうか」。影響を受けるがあまり「僕、これから冒険に出るかも。それでうっかりして死ぬ、みたいな」。
どこまで真に受けてよいものか。でもたぶん、これからも平民さんは書くのだろう。知らんけど。(田中ゑれ奈)=朝日新聞2025年4月30日掲載
