1. HOME
  2. インタビュー
  3. 著者に会いたい
  4. 佐伯真一さん「平家物語の合戦 戦争はどう文学になるのか」インタビュー 殺すとは、様々に見直す

佐伯真一さん「平家物語の合戦 戦争はどう文学になるのか」インタビュー 殺すとは、様々に見直す

佐伯真一さん

 「見るべき程の事は見つ」と平家の武将・知盛(とももり)が入水するのは、『平家物語』の終わり近い壇ノ浦合戦の場面だ。

 木下順二の戯曲「子午線の祀(まつ)り」でも描かれた。合戦中に反転した潮流に乗った源氏が、勝利を収めたとされる。

 だが、平家物語には潮流が勝敗を決めたとは書いておらず、これは近代につくられた説だ。加えて、歴史家・石母田正(いしもだしょう)による「運命」にあらがう人間としての知盛像が、木下に影響を与えたという。

 「『子午線の祀り』は、古典を現代に生かした素晴らしい演劇です。でも歴史的事実ではない。そこは分けて考えようよということなんです」

 専攻は平家物語を中心とする中世文学。小説や大河ドラマ、アニメなど、平家から派生した作品も考える。研究者と世間の常識が離れているので「誰かが言わなきゃ」というのが執筆理由の一つだ。

 平家物語には性格の異なる合戦が、多様な見方で書かれているのも特徴だとみる。

 宇治の橋合戦では僧侶らが曲技を繰り広げ、屋島合戦では那須与一が「扇の的」に遠くから矢を命中させる。「スポーツを見るように熱狂するのは、人の性(さが)です」

 戦の悲しみも語られる。木曽義仲は敵の前に味方二人となったとき、「日来(ひごろ)は何ともおぼえぬ鎧(よろい)が、けふは重うなつたるぞや」という。一ノ谷合戦で熊谷直実(くまがいなおざね)は平敦盛を組み伏せた瞬間、我が子と同じ年頃の美しい少年とわかり、功名心が一変し、泣く泣く首を取る。のちに出家した。

 「死んでいく人や悲しむ人など、様々な目で見直すことで、戦争は文学になっていったのではないか。そして、追い込まれ、弱さをさらけ出す人物の心情を語るとき、平家物語は真価を発揮します」

 いま読む意味は何か。

 「平家物語をどう読もうとウクライナやガザと直結はしません。ただ、人が人を殺すとはどういうことかを考える材料にはなりうると思う。人は人を殺すとショックを受けます。日本人が戦いにどう熱狂し、思い悩み、語ってきたか。そのサンプルが豊かに残っているのを、ご覧いただけるといいと思うんですね」 (文・石田祐樹 写真・高木忠智)=朝日新聞2025年5月10日掲載