第30回手塚治虫文化賞マンガ大賞を、児島青さんの「本なら売るほど」(KADOKAWA)が受賞した。著者インタビュー後編では、子ども心に忘れられない体験になったというある手塚作品のすごみや、もともと志望していなかったマンガ家となった経緯などを聞いた。受賞作には、児島さんが大好きというあだち充作品の特徴との共通点があるのではないか、と指摘すると……。
――エイモス・チュツオーラの「やし酒飲み」など、作中に登場した本の注目度があがるといった反響も生まれていますね。
「まずこんなに私の作品を読んでいただけていることにびっくりしています。こういう時代に、地味なマンガを受け入れていただいたこと自体がうれしい誤算で、ありがたい。取り上げている本については、『推しますよ』というつもりで登場させているわけでは特になく、登場人物がこれを読んでいたら面白いだろうなとか、この話にこの本を絡めたら効果的じゃないかなと思って、敬意を持って扱わせていただいています」
「岩波文庫の『やし酒飲み』やヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』の帯に推薦コメントを書かせていただいたり、集英社文庫の中島らも『ガダラの豚』の帯でも『本なら売るほど』を取り上げていただいたり、すごく光栄です。私の本が注目されることで、読んできた本も一緒に注目される。本読みとして、自分の作品がこんな役目を果たすことができるなんて本当にうれしい」
「私の本を読むことで次の読書につながったり、出てくる本を読みたくなったり。読んだ方の中で豊かに膨らんでいくものの種になるようなマンガであればいいなと思っています」
――かなりの読書量とお見受けするのですが、本好きとなった原体験や読書遍歴は。
「特別にたくさん読んできたということでもないんです。皆さん、『相当読んでらっしゃるんでしょ』みたいな感じで言ってくださるのはありがたいのですが、この間、雑誌の取材で月に何冊読むか質問をされて、『5~6冊ぐらい』と答えたら、他にインタビューに答えていらっしゃる方々の中には、月に何十冊という方もいて、私はやっぱり少ないなと」
「ただ子ども時代、別に裕福な家庭でもなかったのですが、父親が本好きで本なら何でも買い与えてくれて、読む時間を尊重してもらえる環境にありました。幸運なことに私自身1人で本を読んだり絵を描いたり、自己完結する遊びに夢中になるタイプ。本って、1人で頭の中でいろいろ想像や妄想を巡らせて遊べるので、気がついたら本好きになっていました。字の本もマンガも、小学生の頃から片っ端から読んでましたね」
――どんな作品がお気に入りでしたか?
「字の本だと、小学校高学年の頃、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に夢中になりました。この厚い本を通読したことが、私が読書体験で感じた最初の達成感です。作中に出てくる男の子が、夜に布団をかぶり暗い中で隠れて、青りんごをかじりながら一心不乱に本を読むシーンに憧れました。家族に近くのスーパーで青りんごを買ってきてもらい、まねしてかじりながら読んだりして(笑)」
――マンガだと、あだち充さんの作品がお好きとか。
「子どもの頃、家にあだち先生の『タッチ』ぐらいまでの頃の作品があったので、よく読んでいました。先生の作品には大人っぽい演出もあるので、小学生には理解しきれない部分もありましたが、それでも背伸びして読んでいました。作品自体が読みやすかったことも大きい。セリフを多くしないで、情景描写や表情で見せたり、コマの流れで見せたり。画面構成や演出がすごくすっきりしていて、今思うと、すごく巧みなんです。まるで映画とか、ドラマを見ているような感覚で、無理なく登場人物に寄り添える。子どもであっても、ストレスなくその世界に入っていけました」
――児島さんの作品も、余白や間の使い方が巧みに感じるのですが、あだちさんの影響でしょうか。
「そう言われるとおこがましい……。あだち先生が偉大すぎて、恐縮するばかりです。でも、描くときには意識していないにしろ先生のカメラワークやコマの使い方は絶対に刷り込まれています。例えばリズム感って、聞いてきた音楽によって培われるっていうじゃないですか。それに近い感じでしょうか」
――そもそもマンガ家となった経緯は?
「もともと個人的に趣味で描いていましたが、仕事にする発想は全くありませんでした。きっかけはコロナ禍だった数年前です。ある病気で入院してしまって。体もどこまでもつのかわからないし、仕事もこの先見通せないし、ちょうど社会もこんな感じだし……という時に、趣味で描いていたマンガを、最後に皆さんに見ていただこうと、思い切ってネットにアップしました。すると、編集者の方からお声がけいただいた。それまでマンガをお仕事にするという発想はなかったのですが、初めて私にもそういう道の可能性があるんだと気づきました。コロナ禍で仕事も不安定になり、何か副業を持てないかと考えていた時期でもあったので、マンガ家をめざそうと」
「そして2022年9月、デビュー作の読み切り『キッサコ』がマンガ誌ハルタに掲載されました。翌月の号に描いた2作目の『本を葬送(おく)る』が、読者の方々に快く受け入れていただいて。次は仕切り直して新しい作品で連載を、となったのですが、なかなかうまくいかず半年ぐらいすったもんだがありました」
「ただ、連載をめざしたネーム(下書き)がうまくいかないなかでも、『本を葬送る』と同じ、十月堂が出てくる短編だけはネームを切ることができたんです。それが3話分ぐらいたまったので、短編シリーズということにして短期連載でスタートしたのが『本なら売るほど』でした」
――タイトルやペンネームの由来は。
「最初の読み切りの『本を葬送る』そのままではちょっとね……ということで考えたタイトルです。『売るほどある』って、蔵書家や古本屋さんだったら、一度は言ったことのあるセリフだと思うんです。本がたくさんあって、『もう困ったもんだよ』という自虐を含みながらも、愛してやまないというニュアンスを込めました」
「ペンネームについては、もともと私がデビュー前にマンガを描くときに使っていたのが児島。江戸川乱歩の『孤島の鬼』を読んでいて、『孤島』をヒントにつけました。デビューにあたり、下の名前もほしいということになり、青色が好きなので青、と。語呂が良くて児島との据わりもよいですし、青二才であるという意味も込めています」
――手塚治虫文化賞受賞ということでお聞きしますが、これまで触れた手塚作品で印象的なものは何ですか。
「子どもの頃、最初に手塚先生の作品と意識したのが、『火の鳥』の鳳凰(ほうおう)編のアニメ映画。子ども心にもそれまで知っていた勧善懲悪のアニメやマンガとは違った点が印象に残っています」
「『この人悪い人かな』と思って見ていた人が、最終的に浄化され救われて、輪廻(りんね)転生の輪の中に再び戻っていく、とか、『この人はいい人なのかな』と思って見ていた人がだんだんダークサイドに落ちていき、最後やっぱりその人も輪廻転生に引きずられていく、とか。子ども心に『これは何なんだ』と思い、すごく怖かったし、忘れられない体験になりました。おそらくアニメやマンガは子ども向けと思われていた時代に、普遍的で残酷であるからこそ救いもある話を、容赦なくつくられたところに手塚先生のすごみを感じます。しかも、監督は前回の大賞受賞者のりんたろうさんなんですよね」
「マンガだと、ベートーベンを主人公とした『ルードウィヒ・B』(遺作のひとつで未完)です。音楽のマンガ表現に意欲的で、亡くなる直前に描かれたとは思えないような挑戦的な内容。あの頃にはもう手塚治虫という名前を不動のものにされていたと思うのですが、それでもまだこういう挑戦をされるんだと、マンガ家としての姿勢に感嘆しました」
――今後の抱負を。
「これからどうしようかな、もう下手なことはできないな、という思いがあります。作品はこれからも続いていくと思いますし、温かくお見守りいただけたらうれしいです。賞をいただいた以上は、今まで以上に真摯(しんし)にマンガに取り組まなければいけないな、と思っています」
■受賞者のプロフィル
こじま・あお マンガ家。編集者にスカウトされ、2022年9月マンガ誌ハルタに掲載の読み切り「キッサコ」でデビュー。古書店を舞台にした初連載『本なら売るほど』で、宝島社『このマンガがすごい!2026』オトコ編第1位、「マンガ大賞2026」大賞など多数の評価を受ける。
(聞き手・黒田健朗)朝日新聞デジタル2026年04月27日掲載