「わたしをすくう エッセイマンガの処方箋展」育児、病気、孤独——人生に寄り添うジャンルの初企画展
今日、エッセイマンガは描かれていないテーマを探すほうが難しいほど多彩なジャンルとして広がっている。それでも、メインキュレーターで京都国際マンガミュージアムの学芸員の倉持佳代子さんがこの展示を企画しようとしたとき、驚くほど「先行研究が少なかった」という。
「マンガ研究のなかで断片的に触れられることはあっても、エッセイマンガだけを集中的に扱った1冊もなければ、展覧会が開催された形跡もありませんでした。こんなに豊富なジャンルなのに、なぜ注目されていないんだろうかと」
加えて、ストーリーマンガと比べてどこか一段低く見られがちな風潮も気になっていた。
「私自身、エッセイマンガが大好きですし、すくわれた経験もある。だから、エッセイマンガってすごいぞ、と伝えたかったのが正直なきっかけです」
展示を作るにあたって、まず突き当たったのが「定義」の問題だった。
企画展名で「エッセイマンガ」という表現を用いたのにも理由がある。最初は「コミックエッセイ」を軸に考えていたが、この言葉はメディアファクトリー(現・KADOKAWA)が牽引した特定の流れを想起させる。「コミックエッセイ」の広がりを見せる起点として1970年代の少女マンガに遡るエッセイマンガの歴史全体をとらえるには、より広い言葉が必要だと考えた。
エッセイマンガとは何か。「作者の実体験をもとに描くもの」「作者がキャラクターとして登場して自身の経験を語るもの」が一般的なとらえ方だが、そうすると漏れてしまうものが出てくる。たとえば、実体験と創作が混ざり合ったセミフィクションも存在する。
厳密な定義を設けると、今日のエッセイマンガの豊かな現状をうまくとらえられなくなるってしまう。こうして、倉持さんは研究としては異例だが「定義を、あえて曖昧にする」判断をした。
「この展示でエッセイマンガの定義や正史を提示したい意図は全くなく、私自身もアカデミックな部分に重きを置いているタイプの学芸員ではありませんので、そこに爪痕を残したいと思っていないんですね。それよりも、今なぜこんなに多くの人が書き、読み、すくわれているのかを伝えたかった。逆に、展覧会を見て『ここの認識は違う』と言う人が出てきてくれたら大歓迎です。もしこの企画をきっかけに議論が生まれて、『あの展示はまちがっている! だからこういう論文を書きました』という人が現れてくれるなら『しめしめ』と思います(笑)」
展示には、2人の監修者が加わっている。星槎道都(せいさどうと)大学美術学部デザイン学科准教授の竹内美帆さんと、マンガエッセイストの川原和子さんだ。竹内さんは、ここ数年、精力的にエッセイマンガの研究を進めてきた研究者、川原さんは「マンガエッセイスト」として、エッセイでマンガを語ることを仕事に据えている方だ。
「エッセイマンガの知見をおふたりから得たいと思い、特に竹内さんにはアカデミックな視点を担ってほしいと思っていました。今回の展示では、エッセイ(文章)で作品紹介するコーナーを作っていますが、川原さんにはここでお力を発揮していただければと思っていました。展覧会のテキストは、通常は感情や主観をなるべく入れずに書くのが原則です。でも今回はエッセイマンガの展示なので、主観を交えながら『この作品がすごい』と、エッセイでエッセイマンガを紹介してみたかったんです」
「結果として、竹内さんはエッセイもめちゃくちゃお上手で、川原さんは研究的な視点でも細やかなアドバイスをくださった。おふたりとも期待を超えて、思いも寄らないところでフォローしあってくださった」
作家の顔ぶれを見ると、女性の描き手が多いことに気づく。これは偶然ではない。
エッセイマンガというジャンルは、もともと女性のライフハック(日常の困りごとを、少しの工夫でラクにする方法)としての役割を担ってきた。
たとえば青沼貴子さんは、『ママはぽよぽよザウルスがお好き』(KADOKAWA)で、ステレオタイプな「正しい育児」の姿ではなく、ありのままの日常を描いた。育児書には書いていなかった、閉じた世界のささやかに見えるが当事者にとっては大きな困りごとへの共感——「うちもそうそう」「一緒にがんばっている人がいる」という感覚を読者に届けた。
内田春菊さんが『私たちは繁殖している』(ぶんか社)で自らの育児経験を赤裸々に綴り、けらえいこさんが『セキララ結婚生活』(KADOKAWA)で結婚生活のリアルをユーモアとともに描いてきたように、女性たちは「言えなかったこと」をエッセイマンガの形で社会に差し出し続けてきた。
展示の協力者の1人で編集者の松田紀子さんも、このジャンルの読者は女性が多く、「人生の予習ができるもの」として読まれてきたと語る。
「展示構想の当初から、女性がけん引してきたジャンルだと確信していました。閉じた世界の困りごとに、寄り添う存在。そういうものを求めていた読者と、それに応える描き手が、このジャンルを育ててきたのだと思います」
エッセイマンガの核心に「共感性の高さ」があることは松田さんも指摘するところだが、学芸員の倉持さんにとっても、それは理論ではなく、個人的な経験に根ざしている。
「第二子を妊娠中に、その子を亡くして、すごくつらかった時期がありました。周りの人が支えてくれても、心に届かない部分がある。でも同じような経験をした人のエッセイマンガを読んだとき、すごく響いたんです。当事者でないと届かない声が、絶対にあると感じました」
「自分の経験を描くのは、勇気がいる。取りつくろってしまいがちになる。それを隠さずに描いてくれる作家さんのすごさに読者は反応しているのではないか」と倉持さんは言う。
田房永子さんが「母との関係」を、細川貂々さんが「パートナーのうつ」を、それぞれ自分の言葉で描いたからこそ、同じ状況に置かれた読者の「これは私のことだ」と思えた。
「エッセイマンガじゃないと心に響かないものがある、というのは、自分の実感としても強くあります。同じ経験をした人がどのように乗り越えたかを先に読めることで、これからどうすればいいかが見えてくる。それが読者にとっての『処方箋』になっているんです」
展覧会を構成する上で、倉持さんが予想していなかったことがある。原画の力だ。
少女マンガの展示であれば、原画の色合いや線を見せることが重要だが、エッセイマンガはそこまで原画にこだわらなくていいかもしれない、と当初は思っていた。ところが集まってきた原画を見て、その認識が間違っていたことに気づいた。
「一見するとラフなタッチだけど、実は緻密な表現だったり、簡単そうな線に見えて、めちゃくちゃ計算されていたりして、作家さんの工夫がどんどん見えてきたんです」
清野とおるさんの原画は、その意味では典型といえよう。東京都北区赤羽の日常をゆるやかなタッチで描いているように見えて、実は緻密に計算された線で成り立っているのだ。完成品だけでは絶対に気づかなかった試行錯誤の跡が、原画にはある。また、野原弘子さんは表情の微妙なニュアンス、まゆげの角度にもこだわりを追求している。
こういう展示で取り上げられることが少ないジャンルゆえ、原画を処分してしまっていたマンガ家も少なくなかった。「まさか展示に使われると思わなかった」と驚く作家もいたという。
この展覧会でしか見られないものがいくつかある。
一つが、たかぎなおこさんの『150cmライフ。』のプロトタイプだ。これは、編集者の松田さんが一度ボツにしたものだという。
「編集者が『ここは違う』と判断して、たかぎさん自身が作品を作り直した。その過程があったから、あのおもしろさが生まれた。プロトタイプのキャラクターもかわいいんですけど、一段おもしろくなっている。編集者の力というものも、このコーナーで見られます」
もう一つは、京都在住のグレゴリ青山さんによる描き下ろし作品だ。京都在住のマンガ家であるグレゴリさんが、本展のために京都をテーマに描き下ろした。展示と図録でしか見られない8枚である。
福満しげゆきさんや内田春菊さんのように、家族の日常を長年描き続けてきた作家の展示には、親戚の子の成長を見守るような、感慨深い気持ちで立ち止まる読者も多いという。
また、伊藤理佐さんと吉田戦車さんはマンガ家同士の夫婦で、それぞれが自分の視点からその日常を描いてきた。同じ家族の物語が、2人のまったく異なる筆によって描かれる。それもエッセイマンガならではの豊かさだと倉持さんは言う。
「作家の家族と一緒に生きてきたような感覚は、エッセイマンガならではの読まれ方だと思います。もうひとつの人生を追体験させてもらうような。こんな感情になれるのも、エッセイマンガならではですね」
エッセイマンガの歴史をたどれば、媒体の変化がジャンルそのものを変えてきたことがわかる。
1970年代の少女マンガに始まり、1980〜90年代の育児エッセイマンガブーム、メディアファクトリーが牽引した「コミックエッセイ」隆盛期を経て、2000年代以降はブログ、そしてSNSへと舞台が移った。そのたびに、新しいタイプの書き手が生まれてきた。
「まんきつさんや山本さほさん、つづ井さんらは、ブログやSNSで発表した作品が編集者ではなく先に読者に評価されて広まっていきました。マンガ家を目指して切磋琢磨してプロになるというルートとは別に、自分の日常をWebにアップしていたら世間から注目された、という流れが生まれました」
媒体の変化は産業のあり方も変えた。雑誌でデビューして単行本化されてというルートだけでなく、SNSやブログの閲覧収入で成立するシステムが生まれた。
プロとアマの境界はこれからもますます曖昧になっていくだろう。山岸凉子さんや内田春菊さんのように、あらる長ジャンルを横断して商業誌で長年キャリアを築き、そのひとつにエッセイマンガを描く作家がいる一方、無名だった人がバズる時代でもある。これからのエッセイマンガも時代とともに少しずつ書き換えられていくのだろう。
テーマという意味では、「知られざる世界」の作品化が増えていくのではないかと倉持さんは見ている。たとえばエッセンシャルワーカーの仕事の裏側、タブーとされてきた家族の問題、病気や障害の当事者の経験——まだ言語化されていない領域を伝える手段として、エッセイマンガの力を生かすこともできるだろう。
「誰かの困りごとや、まだ言葉になっていない経験を、エッセイマンガが形にする。それが世の中に広まって、言葉が生まれてくる。そういう流れがこれからも生まれ続けると思うし、そうなってほしいとも思っています」
原画が並ぶ会場を歩けば、エッセイマンガがいかに多様な人生の「処方箋」になってきたかが少しずつ浮かび上がる。もしかしたら、自分の経験をもとに自分だけの処方箋を描いてみたくなるかもしれない。
京都国際マンガミュージアムは、明治時代に建てられた元龍池小学校の校舎を活用した施設で、館内には約30万点のマンガが所蔵されている。常設の書架「マンガの壁」では1970年代から現代までの単行本が壁一面に並び、手に取って自由に読むことができる。晴れた日なら中庭の芝生に腰を下ろして読書というのも、京都ならではの贅沢だ。
エッセイマンガ展で取り上げられた作家のマンガ作品の棚も設置されている。エッセイマンガを読んだ後に読むと、きっとその作品の見え方が変わっていくだろう。
マンガに没頭する時間は、半日では足りないかもしれない。それがこのミュージアムの正しい楽しみ方だと思う。