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芦沢央が「ハザードランプ」で見せた知らない作家の顔(第43回)

©GettyImages

物語に漂う不穏さこそ最高の技量

 いつも雑誌で見かける作者だと思っていたら、いつの間にか知らない人になっていた。
 芦沢央『ハザードランプ』(小学館)を読んで、そんな印象を受ける方は多いのではないかと思う。第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞したデビュー作、『罪の余白』(角川文庫)から14年、着実に作品を発表してきて、小説誌の常連でもある。2023年には『夜の道標』(中公文庫)で第76回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門を受賞、これまで直木賞候補にも2回挙がっている。第173回の候補作となった『嘘と隣人』(文藝春秋)はいい作品だと思っていたのだが、惜しくも受賞には至らなかった。

 そうした過去作と、『ハザードランプ』の収録作はまったく違う。いや、芦沢央らしい点はあるのだが、小説の作りが異なる。
 収録作のうち、最後から2番目の「知らない目」だけが「オール讀物」掲載、2023年7月号だから少し前だ。それ以外の5篇のうち、4篇は2024年に創刊された小学館の新文芸誌「GOAT」に掲載された。巻末の「お守り」のみが書き下ろしである。
「GOAT」を初出誌とする4篇のうち最も古いのは、収録順では2番目になる「念のため」だ。創刊号である「GOAT Autumn 2024」に掲載された。これを読んだとき、ちょっとした異物感のようなものが読んでいる最中にずっとあることが気になった。異物感というか、目の中に何か小さいものが入ってごろごろしているような感覚だ。

 視点人物の浩介は中学時代の同窓会があるため、ひさしぶりに実家に帰ってくる。道端で出会った男性がタジマという理容店の店主であることに気づき、その流れで父親に生じた小さな変化を知る。ずっとそこにタジマに通っていた父親が、いつの間にか足を運ばなくなっていたのだ。それとなく理由を探ると、意外な両親の現在が見えてくる。
 この段階では、家族の小説なのだろうということはわかっても小説の全貌は見えてこない。いや、かなり後になっても見えてこない。何を語ろうとしているかわからないために引き起こされる不安が基調になる小説なのである。
 次の場面では、浩介は中学校の同窓会にいる。旧交を温めてしんみりするでもなく、ぱっと盛り上がるわけでもなく、ごくありふれた飲み会だ。そのために帰郷したようなものなのだが「わざわざ参加するようなものではなかったことを確認するためだけに、参加し続けているような気がしてくる」飲み会だ。その席上での会話や出来事に、いくつかの仕掛けが埋め込まれている。そのときは気づかなくても、後で考えたときに、おっ、と思うような一文が入っている。浩介は妻の遥が「こちらに判断を委ねてくるところがわずらわしくて、好き」なのだが、そのことに関する文章だ。

──浩介は毎回、内容を吟味して是非を伝える。けれど非の割合は一割にも満たない。妻がしてくるのは相談ではなく確認で、判断の最終工程を念のために外注しているに過ぎないからだ。
 それでも時折、浩介がやめておいた方がいいだろと答えると、妻は安心したような顔をする。ああ、やっぱりあなたに相談してよかった――

 実はこの前に、浩介はあることを同級生だった女性に言われてかちんと来て、感情が波打っている。そちらに目が行くので、この文章に目を止める読者はほとんどいないはずである。
 読者の意識が特定の箇所に留まらないようにすることに作者は細心の注意を払っている。実はこれが芦沢央という作家が持つ最良の技量で、読者がどこかに足を着けて安心することを妨げるのがとても好きな書き手なのである。だから物語にはいつも不穏な空気が漂っている。
 浩介は校閲者だ。他人が書いた文章を点検するのが仕事である。校閲がエンピツを入れたからと言ってそこを直さなければならない義務はないのだが、情報の正確さを期するため、あるいは日本語としての正しさを少しでも確保するために「念のため」指摘を行う。そうした職業者としての特質が彼のキャラクターと重ね合わされている。
 ある日浩介が帰宅すると仕事のため遥はまだ戻っていなかった。冷蔵庫に夕食の生姜焼きがラップをかけて入れてある。浩介はその生姜焼きを完全に温まっていない状態で食べることになる。遥のラップのかけ方が悪かったのか、もしくは浩介の温め方が不十分だったのか。電子レンジは遥が「安かったからと言って買ってきたもの」で「事前に相談されていれば決して許可を出さなかっただろう」機種である。遥の行動にエンピツを入れられなかったことをいまだに浩介は引きずっている。
 物語はこのように、さしたる大きな事件が起こらないままに終わっていく。さっとしか読まない人は、なんだ何も起きない小説じゃないか、と思うかもしれない。しかし確実に何かは起きている。それは、結語として記された次の一文を読んだときに、胸中に謎の感情が湧きおこってくることからも明らかだ。
――ひとつの間違いも残さないようにと何度も確認し、今さら見つけたところで取り返しがつかない形になったかたまりが、やがて視界の隅でぼやけて見えなくなる。

作品を可能にした読者との信頼関係

「ハザードランプ」という題名の短篇は巻頭に収められている。語り手の麻千子が再婚した相手には一児があった。現在ではもう成人済みのその健太という義理の息子と、2時間ほど車で一緒に移動するという短篇である。健太の身にあることが起きて、仕事で動けない夫に代わって麻千子が迎えに行ったのだ。その帰途で交わされる会話の中で少しずつ健太と父親の関係が見えてくる。そしてその男性と結婚している麻千子との距離感も。
 象徴的な場面がある。赤信号になって麻千子が車を停止させると、少し先にハザードランプがあり「事故でもあったのか、二台の車が停まり、周りに人が集まってきている」のである。本作は車内での出来事が淡々と描かれるのが基調で、そこに麻千子の内心の声が挿入される形式になっている。このハザードランプを見たことが麻千子の思考を招き寄せる。
「ハザードランプ」は短篇集全体を貫くモチーフにもなっている。日常の中に埋もれているものを描いた作品集で、登場人物たちはそこに気づいたり、見過ごしてしまったりする。その違いが人生を分けることになるのだ。ただし徴はハザードランプのようにわかりやすく点灯してくれていない。

 執筆順では「念のため」の次に当たる「車止め」は、収録作中ではもっともエンタテインメント的なわかりやすい外見をした作品である。犯罪小説的要素もありどんでん返しも仕掛けられていて、ミステリーとしての性格は十分に備わっているのだが、『ハザードランプ』という短篇集の中に配置されると、それ以外の小説要素を気にしながら読むことになる。
 注意深く読まれることを前提とした作品群と言うことができるだろう。そういう読者がいてくれる、と芦沢が信じている書き方だ。12年に及ぶキャリアを重ね、読者との間に信頼関係を築いたからこそ書けた小説なのである。小説の中での指示関係は必ずしもはっきりとしたものではなくていい。ただ、aが必ずAを示すとは限らず、BでもCでもいいことがある、となると混乱する読み手が出てくるかもしれない。実は小説としてはAでもBでもCでもいいのだが、はっきりとAだと作者が言ってくれないと気分を害する読者はいるのである。芦沢は、aというベクトルの方向だけが明示されれば、終着点がどこになっても自分の読者は困らないはずだ、と判断したのではないかと思う。そうやって判断を解放することで、小説は遥かに大きな想像力をもたらしてくれることになる。
 書き下ろしの「お守り」は、そうした読者への信頼心が描かせた短篇だと思う。この終わり方を咀嚼するために、私は何度か読み返した。こんなことができるのか芦沢央と思った。いつの間にか知らない作家の顔になっていた。