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庶民の、庶民による、庶民のための昭和史――保阪正康氏が読み解く「半藤昭和史」の真髄とは

記事:平凡社

別冊太陽『半藤一利 歴史とともに生きる』5頁より
別冊太陽『半藤一利 歴史とともに生きる』5頁より

「庶民の側に立つ」覚悟

 半藤さんの十五歳の体験は、戦争とはどういうものかをはっきりと示している。一連の昭和史ものにも書いているし、子供向けの歴史書にも紹介している。だがそういう一文を引用するよりも、私は半藤さんとの直話の中から、その史実を紹介しておきたい。

生前、半藤一利さんと保阪氏は対談、座談会、シンポジウムなどで100回近くは同席したという(別冊太陽『半藤一利』55頁より)
生前、半藤一利さんと保阪氏は対談、座談会、シンポジウムなどで100回近くは同席したという(別冊太陽『半藤一利』55頁より)

 半藤さんの一家は東京・向島に住んでいた。母親や弟妹は、昭和二十年に入ると関東のある地方に疎開していた。家にいるのは、父親(向島区議だった)と半藤さんだったという。そんな時に昭和二十年三月十日の大空襲にあった。半藤さんは一人で逃げたが、とにかく街は火の海であった。荒川の支流である川沿いに走って逃げたそうだが、とにかく熱い。火の回りが早いので街の中は焼死体があちこちにあったという。生者はそういう中を安全の地を求めて走り回っていたというのである。熱さに耐えかねて川に飛び込む者も多い。ところが川面は火が走り、かえって 火傷やけどを負う者が少なくなかった。

 半藤さんも川に飛び込んだが、熱さに耐えられない。そこかしこにボートが、あるいは船がいてそこに乗っている人が川水につかっている人たちを引っ張り出してあげている。半藤少年も船から引っ張りあげてもらい、がたがたと体を震わせながら、船の中に座り込んだという。「足は大丈夫か」と大人の一人が声をかけてくれた。みるとどこで傷がついたのか、足に大きな傷があったという。ともかく十五歳の少年は、命が助かったのである。

 しかし十五歳の少年が、その生涯にわたって記憶したのはそういう自分の姿ではなかった。まさにそこで見た無数の人々の死の姿であった。赤児を抱いたまま亡くなっている母親、老婆に手を引かれた幼児の死、歩けなくなり焼死体となっている老人、そこには人々のあまりにも理不尽な死がいくつもあった。この時に十五歳の少年は、戦争を進めた指導者に心底から深い怒りを感じた。なぜ庶民がこんな死に方をしなければならないのか。半藤少年の人生の中に培われていく覚悟がつくられていった。

 半藤史観が、「庶民の側に立つ」というのは、この時に亡くなっていった名もなき人たちの悔しさ、恨み、そして怨念を自分は引き受けようという覚悟であったのだ。同時に半藤さんは、決して「絶対に」とか「完全に」といった語彙を使わないと決めた。「日本は絶対に勝つ」とか「完全無比なる日本」などの表現は、それこそ唯我独尊であり、全体主義的国家そのものだと気がついたのである。半藤さんの昭和史は、こう見てくるときわめてわかりやすい。庶民の、庶民による、庶民のための昭和史だということである。

 私は半藤昭和史の真髄に、この点があると気がついた時に、いかにその重みがあるかを自覚した。同時にその重みは半藤史観から、半藤史学へと進めていかなければならないと自覚することにもなった。その視点で半藤昭和史の三部作を分析する必要があるように思う。

*別冊太陽『半藤一利』「〈昭和史三部作〉『昭和史 192 6‐1945』『昭和史 戦後篇 194 5‐1989』『B面昭和史 1926‐1945』『世界史のなかの昭和史』/保阪正康」より抜粋

巻頭グラフには半藤さんの書斎の写真も掲載。ここから何冊もの本が生まれた(別冊太陽『半藤一利』6頁より)
巻頭グラフには半藤さんの書斎の写真も掲載。ここから何冊もの本が生まれた(別冊太陽『半藤一利』6頁より)

★別冊太陽公式ウェブサイト「web太陽」では、担当編集者による『半藤一利――歴史とともに生きる』の紹介記事を掲載しています。以下リンクよりアクセスできるので、ぜひお読みください。

web太陽:「歴史探偵」はいかにして作られたのか

別冊太陽『半藤一利――歴史とともに生きる』目次

[評伝]半藤さんの九十年
『15歳の東京大空襲』『焼けあとのちかい』 池上 彰
『日本のいちばん長い日』 原田眞人
『ノモンハンの夏』 佐藤 優
『ソ連が満州に侵攻した夏』 石田陽子
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』『[真珠湾]の日』 戸高一成
『漱石先生ぞな、もし』(正・続) 坪内捻典
『荷風さんの昭和』『荷風さんの戦後』 川本三郎
『安吾さんの太平洋戦争』 平尾隆弘
『清張さんと司馬さん』 平山周吉
『其角と楽しむ江戸俳句』 嵐山光三郎
『三国志談義』『墨子よみがえる』 中村 愿
『戦士の遺書 太平洋戦争に散った勇者たちの叫び』 稲泉 連
『聖断─昭和天皇と鈴木貫太郎』 井上 亮
〈昭和史三部作〉『昭和史 1926‐1945』『昭和史 戦後篇 1945‐1989』『B面昭和史 192 6‐1945』『世界史のなかの昭和史』 保阪正康
『隅田川の向う側』 勝尾 聡
『幕末史』 森 まゆみ
『それからの海舟』 諸田玲子
『日露戦争史』 村田喜代子
『日本国憲法の二〇〇日』 永井 愛
『のこす言葉 橋をつくる人』 青木 理
[コラム]半藤さんの木版ギャラリー/半藤さんの“私的”俳句集/司馬遷と半藤一利さん 中村 愿
[未発表原稿]東京駅幻想 半藤一利
[エッセイ]後悔 半藤末利子

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