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人類史に埋め込まれた希望 考え尽くせぬ「謎」:私の謎 柄谷行人回想録㉙(最終回)

記事:じんぶん堂企画室

自宅内にある書庫で本のページをめくる。書庫以外にも至る所に書棚がある=篠田英美撮影
自宅内にある書庫で本のページをめくる。書庫以外にも至る所に書棚がある=篠田英美撮影

――2年半にわたって続いてきた連載ですが、今回で一区切りです。現在取り組まれていることや連載の感想もお聞きしたいのですが、まずは、現段階での理論的な最新著作である2022年の『力と交換様式』について。刊行時にお話し頂いたので(『力と交換様式』インタビュー)、今回はさわりだけ。

《柄谷さんは、人間の歴史の中で起きてきた社会の構造的な変化を“交換”という観点から見直し、従来の“生産様式”にかわるものとして “交換様式”という考え方をまとめあげた(「生産様式論」については第28回を参照)。柄谷さんの分類では、交換には四つの様式、A=贈与と返礼の互酬、B=支配と保護による略取と再分配、C=貨幣と商品による商品交換、そのいずれとも違う自由と平等を担保したDがあるという。ABCは同時に存在し、Aが支配的であれば共同体的な氏族社会、Bが支配的なら封建的な国家、Cが支配的なら資本制社会になる。『力と交換様式』では、さらに一歩踏み込んで、交換がもたらす“力”について洞察を進めていく》

  
  

交換の不思議 “力”から考察

柄谷 『力と交換様式』のもとになったのは、雑誌で連載した「Dの研究」という論考でした(「atプラス」、2015~16年)。人類史に見られる多様な交換様式Dを考察したものです。そこに加筆修正を繰り返しているうちに、交換様式論を全面的に再考することになってしまった。それでできたのが『力と交換様式』です。交換様式論の集大成のような内容になりました。

――まさに交換様式論の核心となるDについては後ほどお聞きしますが、タイトルにもある “力”についての本でもありますね。

柄谷 交換というのは、つくづく不思議なものなんですよ。たとえば、等価だから交換が成立するわけじゃない。というより逆に、交換が成立することで等価性が生まれる。
この不思議な交換のなかでも、商品交換――貨幣と商品の交換ですね――について考察したのが、『資本論』のマルクスです。貨幣や商品の交換価値は、人間の取り決めに基づいて生まれたものではない。それに、物理的な力に支えられているわけでもない。しかしそれなら、人に商品交換を強いる力は、なぜそれほどまでに強いのか、そしてどこから来るのか。

――確かに不思議です。

柄谷 マルクスは商品交換(C)を成立させているのが“物神(フェテッシュ)”という謎の存在からくる強迫的な力であることを見いだした。僕は、それ以外の交換にも、それぞれに特有の謎の力が働いていると考えました。そしてそれら交換の力が、歴史や社会、さらには個人のあり方までをも決定している。『力と交換様式』では、それらの力について考察しました。

――集大成とおっしゃっていたように、この1冊で交換様式のなんたるかがわかるようになっていました。

柄谷 交換から世界を見るという考えは、一般的ではありません。というより、僕が一人で言ってるだけでしょ(笑)。世の中では、交換様式はまったく理解されていない。今年の終わりか来年の始めに、『力と交換様式』の英訳が出るので、それで少しは変わるかと期待しているんだけど。日本でも文庫化が決まったし。

『力と交換様式』(岩波書店)
『力と交換様式』(岩波書店)

柄谷 交換が世界をつくっているなんて、これまで誰も考えなかったことですよね。だから、そのことを説明するのには1冊や2冊では足りないよ。『力と交換様式』はこれまでにないくらい苦労して書いた本で、もう書き尽くした、と思ったんだけど、そのあとまた新しい考えが出てきて(笑)。

――『トランスクリティーク』のときも『世界史の構造』のときもそう思ったそうですね(笑)。

柄谷 そうなんだよ。それで、いまも次の本を書いている。

――それくらい終わりのない問いなんですね。

柄谷 そうですね。あらゆる問題の根底には、交換がある。戦争や恐慌もそうだし、個人の内面から宗教のようなことまで、すべての根底に交換がある。これはなかなか分かってもらえない。だけど、交換様式B(権力)とC(金銭)の力がいかに強いかということは、誰もが実感してるんじゃないですか。たとえばCの力の強さは明白ですよね。

――本当ですね。資本主義の終わりは、ちょっと想像が出来ないというのが正直なところです。

柄谷 現在の世界では、Cに基づく資本主義が支配的だけど、そこにBに基づく国家、Aに基づくネーション(国民)の力が絡んで、互いを補強するような形で三つどもえをなしている。昨今は国民同士の連帯――ネーション――は弱まっているけれど、いじめとか同調圧力とか、そういった形でのAはむしろ強まっている。これらABCの力はすべて、人間同士の敵対性を促す力です。しかし他方で、人を自由と平等へと駆り立てるような力が確かに働いている。それが交換様式Dの力です。

Dとは何か

――交換様式Dは、交換様式論のもっとも特徴的なところで、多くの読者が希望と困惑を同時に感じる部分だと思うんですが。

柄谷 そうでしょうね。普通の論理で説明できるような話ではないから。

――“D”についての言及は、段々変化していますよね。2001年の『トランスクリティーク』のときは、アソシエーションの実践によって実現可能だと読めました。いわば、NAMの運動は、そこにかけたものだったと思います。しかし、2010年の『世界史の構造』では、まだカントなどを引いて「世界共和国」を目指す道が語られているものの、いかに困難かを感じる書きぶりに。さらに2022年の『力と交換様式』では、「人間の力では実現できない」ということが強調されていました。著作ごとに悲観的になっている印象があります。

柄谷 Dは人間の力で実現できるようなものではない、というのは一貫して言ってきたことです。それにもかかわらず、人はそれを目指すようにできているし、それを目指すしかないんだ、ということも。ただ、『トランスクリティーク』の頃には、BとCの力の強大さを今ほど痛感していなかった。この20何年の間に、それを思い知らされた。これだけB・CがのさばっていたらDなんてとても無理だ、と普通なら思うよね。

書斎での柄谷さん=篠田英美撮影
書斎での柄谷さん=篠田英美撮影

柄谷 僕は、Dは向こうから来る、と言ってきた。それには根拠がないと言われることもある。だけど、根拠がないのは当然なんです。Dの到来は、科学的な裏付けとか証明とか、そういう枠組みから捉えられることではないから。しかし、それは、ただの希望的観測や空想ではない。

――なぜそう考えるようになったんですか?

柄谷 人類史における交換というものを考察する中で、そういう確信が出てきたんです。今後また長い戦争の時代が続くだろう、だけどそれを超えて必ず新しい世界が到来する、と。それは僕一人が勝手に考えていることではなくて、人類史の中に埋め込まれている希望だと思う。文学や哲学、宗教はそれを表現してきた。この希望は、人が随意に採用したり放棄したりできるものではない。それはある。そしてそれからは逃れられない。

――ちょっと終末論的にも聞こえてしまいますが……。

柄谷 確かに、大々的な破局が訪れてそのあとに新しい世界が生まれるなんていう話は、ハルマゲドン風というか、漫画っぽくて安直な感じもするよね(笑)。今書いている本では、終末論についても踏み込んで論じるつもりだから、詳しいことはそこで。

次の著作、「神」と言わずに考えたい

――先ほどから話題になっている次の本、気になります。少しだけ構想を聞かせてください。

柄谷 考えているのは、Aのことです。Aは本来、BCに対抗するものなんですよ。だからDの鍵はAにある。だけど、BCがあまりにも強いため、そこに飲み込まれて、AはBCの下請けのようになってしまった。さっき言った、ネーションとか世間の同調圧力なんかは、堕落したAの例です。だけど、Aには別の可能性もある。Dに向かう可能性です。このAは、互酬でもあり純粋贈与でもあります。

――例えば、協同組合のように、権力や資本の力が及びにくい小さなコミュニティーの中で経済圏を作るようなイメージですか? あるいは、Dの例として普遍宗教も示されていますね。

柄谷 それもありますが、Aは協同組合とか宗教などには限定されない。もっと多様で壮大なものです。権力や金銭を第一の原理としない場を築いていくことが大切です。そこからは、思いもよらなかったようなさまざまな可能性が生まれます。それについては想像するだけではなくて、経験してみないとわからないと思いますよ。

――宗教という言葉に身構えてしまう部分もあります。

柄谷 Dを“神”の言い換えだと思う人もいるみたいですね。『世界史の構造』以来、宗教関係の人たちからの連絡が急に増えたしね。宗教がDを追求してきたことは事実です。だけど、Dの追求は宗教以外のところでもなされてきた。宗教を特別扱いする理由はないんです。神とか宗教とかいうと、いろいろと誤解されて面倒だし。だから交換様式Dといったんです。

――「神だ」と言ってしまったら失われるものがあるわけですね。

柄谷 普通の人が抱いている神のイメージは、究極的な権力や富の力を持つ存在です。だけど、それは“神”じゃないんですよ。B・Cの投影です。普遍宗教における神は、そんな安易なものじゃない。だけど、そんなことをいちいち説明するのも面倒でしょ。神なんていうと紛らわしいだけだから、そういう言葉を使わずにすめば一番なんだけど、AやDについて考えるときに宗教を参照することは避けられないから仕方がない。

エルサレムの旧市街地。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がある
エルサレムの旧市街地。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がある

――そのあたりが次のテーマになってくるんでしょうか。

柄谷 そうですね。テーマは、DというよりAです。さっき、Aには二つの相反する可能性がある、と言ったでしょう。まず、AにはB・Cに抑え込まれて隷従する可能性があります。もう一つの可能性は、B・Cを斥けてDに向かうことです。実は、AとDについてうまく説明できる材料が一つだけあるんです。新約聖書です。

――聖書ですか。キリスト教にDの可能性があるということですか?

柄谷 キリスト教じゃないですね。僕が気づいたのは、新約聖書が、イエスを、B・Cに結びつくAを否定して、そうではないAの可能性を開示した存在として描いていることです。そしてそれゆえにイエスは“神の子”だと捉える。もちろん、当時、国家(B)と資本(C)はまだ萌芽形態としてあっただけです。だけど、イエスの生きた時代のパレスチナを支配していたローマ帝国は、それまでの古代帝国とはけた違いの軍事力や経済力をもっていました。だから、歴史的に考えても、イエスの時代は転換点なんです。しかし、この話はこのへんでやめておきます。書けなくなると困るから(笑)。

――ああ、しゃべると満足してしまう、というやつですね。

柄谷 これまでの著作でも、聖書について書いてはきました。でも今回は、AとDの関係という新しい観点からの考察です。AとDのことは、『力と交換様式』を書き終わるあたりから気にはなっていたんです。だけど、その時点ではうまく言えなかった。
それから、聖書は理論的な本じゃなくて、隠喩的、象徴的、文学的な性格の本です。その意味では、文芸評論に戻った感じもあります。

連載と人生を振り返って

――文芸批評の著作としても楽しみです。この連載では、柄谷さんの人生を最初から振り返ってきました。ご自分の人生について聞くのも妙ですが、どんな話が印象的でしたか?

柄谷 最後の取材を受けるにあたって、これまでの連載を読み返してみたんですよ。最初の頃に、小学校に上がってから2年くらい教室で口をきかなかったことを話しましたよね(第2回)。ここ何年かで、その頃に戻ってしまったような感じなんです。コロナ禍で人に会わなかったのも大きい。僕は本来、恥ずかしがり屋で無口なんだよ。

幼少期の柄谷さん=本人提供
幼少期の柄谷さん=本人提供

――無理やり回顧させてしまい、すみません(笑)。

柄谷 でも、いろいろと発見があった。一番思うのは、偶然が重なりすぎているということだね。そのときには何とも思っていなかったけど、振り返ってみて、偶然につぐ偶然であったことに気づいて驚いた。

――折に触れておっしゃっていましたね。「向こうから来る」と。

柄谷 例えば、アメリカに行くことになったのは、大学の同僚が在外研究の資格を得るためのくじ引きに誘ってくれたから。その彼と僕の二人だけがくじに当たった。その前まで外国に行きたいとすら思っていなかったのに。

――それがイェール大学でのポール・ド・マンとの出会いにつながったわけですものね(第10回)。

柄谷 ド・マンは、冷たくて厳しいと皆がおそれていた人だったのに、まるで僕を待っていてくれたように、特別に評価してくれた。その上、世界に向かって英語で書けとしつこく迫った。当時も不思議な気がしたけど、今思うとますます不思議な話ですよね。

――中上健次との出会いも印象的でした。デビュー前に、群像新人賞の落選作から遠藤周作が「三田文学」に書かせようと、お二人を選んで呼び出して……(第7回)。

柄谷 遠藤さんの依頼を断って退席した僕を、中上が追ってきたときの話ですね。こいつは違う、と初対面で感じた。他のやつだったら、仲良くなっていたかわからない。

狂暴で内向的な“私”

――それぞれ引き合わせてくれた人がいて、そこから芋づる式に運命が開けていく、という印象ですね。

柄谷 でも、小学校で2年間口をきかなかったなんて話は、偶然とは言えない(笑)。僕という人間からくる必然ですよね。僕の親はそれを何も言わずに見ていたわけだけど、そういう親は滅多にいない。それも今回振り返ったことで、気づきました。

――仕方ないと諦めていていたのか、逆に信頼のあらわれだったのか……。

柄谷 ともかく、叱ったり指導したりすることが全くなかった。褒めることもなかった。勉強が学年で一番でも褒めないし、全然騒がない。いつもただ優しく見守っている。父親がときどき「善男君(柄谷さんの本名)はタイラントやなあ」って、ちょっと困ったように言ってた。タイラントは、英語で“暴君”ですよね。威張っててかなわないなあ、と(笑)。

柄谷さんの父・善之祐さん=柄谷さん提供
柄谷さんの父・善之祐さん=柄谷さん提供

――英語で言うのが、インテリのお父さんらしいですね。その感じがまたかわいかったんでしょう。

柄谷 “タイラント”の意味がわかったってことは、僕が中学生くらいのときのことだったのかな。でももっと小さい頃から、「おれを誰だと思ってるんだ」って思ってたね(笑)。家でというよりも、全般に。

――それは確かに威張ってますね(笑)。何者でもないときから?

柄谷 そう。だけど、他の人と比較して優れているという話では全然ない。比較の問題じゃなくて、うまく言えないけど、自分は自分だ、という感じですね。

―― “怖いもの知らず”という感じで言えば、一貫していますよね。デビュー前に遠藤さんからの雑誌掲載の誘いを断ったり、ジャック・デリダやポール・ド・マンのような海外の思想家にもひるまなかったり……。若い頃から年長の文芸評論家や作家にも遠慮がなくて、昔の座談会などでも本人を前に良くも悪くも言いたい放題です(笑)。著作が断定調であることもあって、お目にかかるまではコワモテのイメージがありました。

柄谷 当時は、思想の上では、ほとんど殺し合いの世界でしたからね。70年代80年代には、みんな本気でぶつかり合ってた。僕は、日本でも外国でも、相手が誰かということは関係なくものを言ってしまう。狂暴だからね(笑)。外国でも、結構おそれられてきました。ただ、僕も年をとるにしたがって遠慮深くなった(笑)。

 

1980年前後の柄谷さん=本人提供
1980年前後の柄谷さん=本人提供

――確かに、古くからのお知り合いからは最近はすっかりおとなしくなったと、聞きます。一方で、先ほど内向的でシャイな部分も本来の柄谷さんという気がします。その二面性が柄谷さんらしさなのかもしれないですね。

柄谷 昨今は、ひたすら引っ込み思案になってますよ。講演なんかとても無理。読むのにも書くのにもすごく時間がかかるようになったし……。だけどそれで引退してゆっくり暮らそうとかいう気にはならないんだよね。やっぱり考えること、書くことしか考えられない。

――読む、考える、書く、ということに特化した人生という感じがしますね。

柄谷 そうだね。他のことができなさすぎるし(笑)、なるべくしてこうなったんだろうと思います。

――“らしさ”ということで、お聞きしたいのですが、柄谷さんの文章は、とても特徴がありますよね。古今東西の引用を交えながら、独特の断定と絶妙な飛躍があって、柄谷さんの思考を追っているような魅力があります。自分が頭が良くなったような錯覚を引き起こすこともありますが(笑)。ご自分の文体については、どのようにお考えですか。

柄谷 文体というのはよく分からないけど……。なるべく簡潔に分かりやすく書こうと考えてきただけです。文体といえば、『世界史の構造』を出したとき、奥泉光さんが「柄谷さんはこの本で新しい日本語の文体を確立した」というようなことを何度か言ってくれたんです。彼は文体についてよく考えている人だから、何か思うところがあったんだろう。
しかしまあ、思えばよく書いてきたね。我ながらすさまじい量の仕事をしたものだ。

――言われてみれば、膨大な著作のなかでより簡潔な文体に変化してきた気がします。“ひらめき”はどうですか? 柄谷さんは、初期の文芸批評でも、哲学的な古典でも、他の人と違う、面白い読み方をする。あるいは、交換様式のように、新しいアイデアを示す、という。

柄谷 とはいえ、新しい考えで人を驚かそうとか、ひらめきを求めるというのは全然ないですね。勝手にひらめくだけで。だけど自分勝手に考えているわけじゃなくて、いつも先人を重んじてきた。ただ僕は忘れっぽいんだよね。忘れないと新しいことが見えないんじゃないかな(笑)。

――それでもオリジナリティーがあるということなんじゃないでしょうか。日本の思想・批評の分野で、海外でこれだけ著作が翻訳されている人は他にいないですよね。2023年に哲学のノーベル賞を標榜する「バーグルエン賞」を受賞した、というのもその現れだと思います。

柄谷 岡倉天心の『茶の本』、新渡戸稲造の『武士道』、鈴木大拙の『禅学入門』なんかは、英語で書かれたものだし、今も海外で結構読まれていると思うけどね。

――なるほど。ただ、それらの本は日本文化の紹介という側面が強いですよね。柄谷さんの場合は、西洋思想を論じているわけですから。

柄谷 確かに、東洋趣味で僕の本を読む人はいない(笑)。普通は日本人が西洋思想のことを言っても相手にされないし、通用しないんですよ。それを突破しようと思ってやってきたことは事実です。だけど、まだまだだね。

「私の謎」はもう解けた?

半生を振り返る柄谷さん
半生を振り返る柄谷さん

――柄谷さんの著作には初期から “他者”や“外部”というテーマが通底しているように感じます。交換様式Dもまた、どうやって他者/外部と出会うか、につながるように感じます。

柄谷 どうだろう。自分の書いたものだから、つながりはあるでしょう。でも、いま僕がこだわっているのは、やっぱり交換様式の問題なんですよ。これしかないだろうと思う。時間がもっとほしいね。

――初回で、「自分にとっての謎がある」「どうしてこういう人間なんだろう」とおっしゃっていました。謎は解けましたか? 

柄谷 解けたんじゃないかな。というか、そんなもののことは、もうどうでもいいんだ(笑)。

――「どうでもいい」とはっきり言われてしまうと、ちょっとつらいですが(笑)。

柄谷 でもやっぱり“謎”ではある。今回の連載のために自分の本を読み直しても、「なんでこんな変なことを考えたんだろう」と当惑(笑)。ただ、一つ言えるのは、僕は今もまだ謎を追求しているんだということです。それは“人類の謎”だよ。

――“私の謎”は“人類の謎”だった、という……。まだまだ思索は続きそうですね。

柄谷 なかなか終わりにならないね。これは自分でもどうしようもない。

――ありがとうございました。

 ※この連載は、今回で終わります。取材では、妻の柄谷凜さんにもご協力頂きました。

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