
ISBN: 9784041146880
発売⽇: 2025/05/13
サイズ: 13.5×19.3cm/480p
「海風クラブ」 [著]呉明益
漢人の少女、秀子(シゥヅ)とトゥルク族の少年、ドゥヌ。ある日二人は深い山中の洞穴で出会い、互いの宝物を交換する。
物語の舞台は台湾東部、海と山々に挟まれた海豊(ハイフォン)村だ。幼い日に出会った二人の運命は、青年ドゥヌの暮らすこの村に、娘を連れた秀子がやってくることで再び交差する。過去を隠し、名前を変えた秀子は村で唯一の酒場、海風クラブの主人になる。漢人と原住民、キリスト教と祖霊信仰、老人と若者、男と女。店で繰り広げられる人間模様を通して、この土地に潜むさまざまな差異と、それらの絡まりあいが浮かび上がる。
背景をなすのは、この地に生きるトゥルクの苦難の歴史だ。過去の天災と祖父たちの旅、日本軍との戦い、平地への強制移住……。そんな彼らの前に、今度は巨大な工場の建設計画が立ちはだかる。
「怖(おそ)れるな、俺たちには山刀(さんとう)がある」
計画を知ったドゥヌたちの合言葉には、山に生きる彼らの誇りが込められている。だが開発が進むうち、村人の間の分断が露(あら)わになってゆく。
本書のもう一人の主人公は、最後の巨人ダナマイだ。彼は神話的存在であり、村の背後にそびえる山そのものでもある。遠い昔、秀子とドゥヌを匿(かくま)った彼の身体の心臓部には、巨大な樹(き)が生えている。その拍動とともに、あらゆる生きものの言葉が幾千もの葉となって芽吹き、また落葉する。すべての生命に分有され、それらをつなぐ野生の思考の源泉であるかのように。だが、そんな巨人の存在はいま、山にまつわるトゥルクの記憶もろとも、消滅の危機に曝(さら)されている。
「もし俺たちが語らなければ(中略)俺たちの物語を覚えている人がいなくなるだろう」――ドゥヌはそう呟(つぶや)く。
強者の歴史に書き込まれることのない、小さき者たちの物語。誰がそれを語り、伝えるのか。瀕死(ひんし)の巨人は、山に導かれた秀子の娘にこう尋ねる。「これからも物語を作る?」「作るよ。ずっと作る」「じゃあ、これからずっと語り続けてくれ」
異なる来歴をもつ者たちは言葉を紡ぎ、伝えあうことでつながり、互いの交点を見いだす。何が起こったのか。何が過ちだったのか。護(まも)るべきものは何か。暴力と分断の果てに、赦(ゆる)しはありうるのか。
物語を通して、読み手もまた幾千もの葉をもつ大樹の下に誘(いざな)われる。言葉と、想像力と、物語。分断し、破壊し尽くし、忘却を強いる巨大な力に抗する武器は、それだけなのだ。たとえ山刀はなくても、私たちには言葉がある。その力を、この物語が証明している。
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ご・めいえき/Wu Ming-Yi 1971年、台北生まれ。小説家・エッセイスト。東華大教授。2015年の『自転車泥棒』が国際ブッカー賞候補に。ほかに『複眼人』『歩道橋の魔術師』『雨の島』など。