東日本大震災から今日でちょうど7年。私の住む仙台市内の自宅の窓からは、名取川の河口付近の土地が見えている。時間がいったん断たれたあの日から、ともかく7年が積み重なった。この時季になると、震災を忘れるな、風化させるな、という声が世間に高まる。それを聞くたびに、震災の1年後に届いた知人からの返信の文面を思い出す。同じ聾(ろう)者だった夫を津波で亡くした彼女は、自分はあの日のことを忘れる努力をして前へ進んでいきます、と記していた。忘れてしまえることだから、忘れるな、というのであり、忘れられない人は、それを抱え込みながら、忘れる努力をして生きていくしかない。
震災によって人心は変わったか。その問いに答えた文学作品がなかなか現れてきていない中で、南相馬市の実家が原発事故に被災した宇津志勇三の『水の音』(本の森・1500円)には、除染の実際や、〈墓参りをする生者のことばかり考えていたが、死者の都合も考えるべきだ、と思うようになった〉といった心境が不器用ながら語られ、創造的復興などという言葉では語れない震災後を生きる者の真情がこもっている。
いまは記録を
震災というテーマは、文学として巧みに効果的に仕上げたら嘘(うそ)になる、ということがあり、いっぽうで震災によって変化を余儀なくされた想像力を駆使した作品は、ともすれば被災地の人心とかけ離れてしまう、という問題がある。いまはまだ、小説よりも、後の世代の者が参照出来る記録としての言葉が求められる時期ではないだろうか。その意味で、『福島第一 廃炉の記録』は、廃炉作業は〈今の現役世代だけでは完了できない課題である〉ことから、〈できる限り多くの記録を残しておくことが大切だ〉という姿勢から生まれた記録写真集であり、なかなか現場に入ることができない私たちに対して、唯一無二の判断材料を提供してくれている。現場作業員の手記である『福島第一原発収束作業日記』(ハッピー著・河出文庫・896円)を併せ読むことを勧めたい。
津波に呑(の)み込まれた日本製紙石巻工場が再生するまでを追った『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている』は、震災時の壊滅的な状況と生き延びた者たちの決断が徹底的な取材によって再現されており、記録としても貴重である。日本製紙は日本の出版用紙の約4割を担っており、その主力工場が石巻工場だということで、いま私たちが紙の本を読むことができるのも、復旧のたまものなのである。それにしても、本工場が従業員の壮絶な闘いによって2012年に完全復旧を果たしているのに比して、燃料デブリを取り出すまでにさらに長い年月がかかる原発の廃炉作業の未曽有の困難さが思い知らされる。
担い手は子供
今回の震災を本質的に捉え表現する文学が生まれるとしたら、その担い手は、柔(やわ)な感受性で震災の悲劇に直面し、それを抱え込みながら成長していく子供たちなのではないか、と思い続けてきた。『16歳の語り部』を読んで、その思いは強まった。〈僕はいつも、自分の体験を誰かに伝えるとき、それが震災のすべてだと思わないでほしいと思いながら話しています。一人ひとり、本当に違うからです〉と、3人の語り部の1人である雁部那由多(がんべなゆた)は言う。大人は、それまでの知識や経験から震災を自分に引き合わせて解釈してしまうが、彼は冷静にリアルにあの日のことを語る。小学校では、〈震災のことは口にしてはいけない〉というルールがあり、ずっと感情に蓋(ふた)をしてきたとも。被災者のエゴイズムも直視する彼、彼女らが、文学の言葉を手にしたとき、どんな小説が生まれるだろうか=朝日新聞2018年3月11日掲載