雲を食べたい。どうやって食べるか。スプーンですくって、そのまま生で食べてみる。青空にポカリと浮いた雲だから、とりたてをそのまま呑(の)みこむ。
さながら、オボロ豆腐のような味だと噓(うそ)をつく。食通というゴロツキは講釈だけは一人前だ。
「春の雲は養殖でまずい」「夏の雲は大味で腐りやすい」「冬の雲はまだ熟しておらず酸味が強い」「雲は古来より秋をもって旬となす。京都嵯峨野上空から小倉山一帯の雲を通称百人一雲といって、蜜をかけて食う」。
とホラを吹く。雲は野外食である。高校生のころ、グラウンドに寝ころんで雲を食べたいと思った。形状として雲に似ているのは縁日の屋台で売られている綿飴(わたあめ)である。綿飴はロングセラーで、子どもはふわふわした浮遊物にひきつけられてしまう。
人間は好奇心旺盛な生き物で、雲や雨や月といった自然現象を食べたいと願い、代用物を見たてて欲望を充足する。月見に供えるのは中国では月餅(げっぺい)であり、日本では月見ダンゴだ。月見そばは玉子を月に見たてているし、春雨は雨に見たてた細長いめんである。
ソフトクリームは積乱雲である。シャーベットはみぞれである。ビールのアワも雲に似ている。ハンペンは魚のすり身にヤマイモなどを加えてゆであげたものだ。ハンペンをオーブントースターに入れて焼くと、ふくらんでくる。表面がキツネ色になる前に取り出して食べる。ふくらんだハンペンは一分もたたぬうちにしぼんでしまうから、すぐ食べる。雲を焼くとこんな味になるのだろうか。ほかほかの雲で、口が熱くほてる。するとビールが飲みたくなり、冷蔵庫から缶ビールを取り出してコップにつぐとアワがたち、「ビールのアワも雲だな」とわかった。
小麦色のビールの上にアワが載っている。ビールの味はアワとよい関係がある。トロロうどんが雲に近いのは汁の上に浮いているからである。その浮遊感が雲に近い。トロロうどんは、雲を上空からのぞいた風景なのだ。ここに至って、雲を食べるのは汁食に関係が深いことに気づいた。
雲呑と書いてワンタンと読む。ワンタンは中国・元(げん)の詩人蔡仁玉が命名した料理である。もとは肉経帯という名がついていた。肉の具を小麦粉で練った薄皮で包み、スープで煮こんだものである。中国新疆(しんきょう)維吾爾(ウイグル)自治区の遺跡から、ワンタンに似た食品が出土しており、ワンタンの歴史は古い。蔡仁玉は料理店を経営していて、ある日、客にこの料理を出すと、汁に青空が映っていた。青空のスープの上に白い具が浮かんでいた。そのうち、客が雲ごと青空を呑みこんだ。蔡仁玉は「雲を呑んだ」と感動して、雲呑という名称を思いついたという。=朝日新聞2018年02月24日掲載
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