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川上未映子「ウィステリアと三人の女たち」書評 回帰する傷ついた少女らの記憶

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月12日
ウィステリアと三人の女たち 著者:川上 未映子 出版社:新潮社 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784103256250
発売⽇: 2018/03/30
サイズ: 20cm/177p

ウィステリアと三人の女たち [著]川上未映子

 自分がどういう人間かは自分がいちばんよく知っている。我々はふだん、そう思って生きている。けれども、その思いはいつか引き剥(は)がされてしまう。そして見知らぬ自分が顔を出す。
 短編「彼女と彼女の記憶について」の主人公である女優もそうだ。田舎で開かれた同窓会に、十何年ぶりかで参加する。そして彼女は称賛を浴びるのだ。だがことはうまくは運ばない。元テニス部の女性に「いちおう女優って感じの人」とまで呼ばれてしまう。しかも黒沢こずえという、かつての親友が数年前に餓死していたことを知る。
 実は主人公は小学生時代、こずえを裸にしては性的ないたずらを加えていた。だがそのときの記憶も含めて、こずえのことをすべて忘れ去っていた。彼女の死は自分のせいなのか。いやそんなはずはない。葛藤する主人公はふと視線を感じる。見ると小学生時代のこずえが裸で立っていた。
 こずえとは誰なのか。表題作の短編を読むとわかる。不妊症治療に応じない夫は勝手な理屈で妻を黙らせ続ける。ある日の夜、半分解体された近所の家に忍び込んだ妻は、完全な闇の中で自他の境界線を失い、かつてここで一人暮らしをしていた老婆の記憶と一つになってしまう。それは、イギリス人女性との完璧で悲しい愛の思い出だった。
 暴力的に無視された魂は少女として、主人公の心の中に何十年も生き続ける。そしてそれは、あるきっかけとともに回帰する。それがこずえであり、若き日の老婆だ。そして彼女たちは叫ぶ。こんなふうに外見で判断されるのは嫌だ。もっと愛がほしい。もうこんな孤独には耐えられない。
 その叫びは、主人公の心を覆う膜を突き破り読者にまで届く。だからこそ川上未映子の作品は尊いのだ。読者は主人公たちとともに彼女の作品の世界を生きながら、自分の中で傷つき、うずくまっている少女を抱きしめられる。
    ◇
 かわかみ・みえこ 76年生まれ。作家。「乳と卵」で芥川賞、『愛の夢とか』で谷崎潤一郎賞。本書は短編集。