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佐藤優「十五の夏」書評 世界に向かう真っ当な好奇心

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2018年05月19日
十五の夏 1975 上 著者:佐藤優 出版社:幻冬舎 ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784344032705
発売⽇: 2018/03/29
サイズ: 20cm/433p

十五の夏(上・下) [著]佐藤優

 石川啄木は〈不来方のお城の草に寝ころびて〉と15の心を詠(うた)い、尾崎豊は〈盗んだバイクで走り出す〉と15の夜を歌った。川端康成は、数え16で〈しびんの底には谷川の清水の音〉と寝たきりの祖父を日記に記した。そして、本書の15歳の「僕」は、高校1年の夏休みに、理解のある親に旅費48万円の大半を出してもらい、当時は珍しかった東欧、ソ連への一人旅へ出る。
 ある種、恵まれた境遇にある少年の旅行記であり、〈共産主義にかぶれているんじゃないだろうか。少し頭がいいと思って、生意気なことをするんじゃない〉と非難する日本人の大人と旅先で出会うこともあるが、「僕」の世界に向かう姿勢の真摯(しんし)さ、真っ当な好奇心の在り方が、自(おの)ずと読者に自分の15を振り返らせ、旅の行方を見守りたい思いにさせる。旅先にアメリカではなく東欧、ソ連を選んだのは、ハンガリーにいるペンフレンドやモスクワ放送の日本課長を訪ねるとともに、社会体制の異なった国を見てみたいという希望からだった。小学生のときにアマチュア無線の免許を取り、日本向けのモスクワ放送を聴いていたことを初出の連載時に読んで以来、同じ体験を持つ評者は、その後の進路が大きく異なったものの、著者に関心を抱くようになった。
 形容詞を省いた文章が、思い入れを廃した旅の記録となり、頻出する食事の記述が、観念的ではなく庶民の暮らしぶりを生き生きと描き出している。この旅が“佐藤優”たらしめたというよりも、執行猶予の時期にあって、単なる回想ではなく、いまある原点の15の自分を作品の中でもう一度生き直そうとしたのではないか、と評者には感じられた。会話の箇所の〈僕は言った〉の中に、ごく稀(まれ)に〈僕が言った〉という表現が混入する叙述が、「語る僕」と「語られる僕」を孕(はら)んでいる一人称の表現としてスリリングであり、著者がこの先、本格的に小説に向かう予感を抱かせる。
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 さとう・まさる 60年生まれ。作家、元外務省主任分析官。『国家の罠』『自壊する帝国』『先生と私』など。