東直子が薦める文庫この新刊!
- 『川の光』 松浦寿輝著 中公文庫 821円
- 『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』 マーギー・プロイス著、金原瑞人訳 集英社文庫 864円
- 『好きになった人』 梯久美子著 ちくま文庫 821円
梅雨に入り、雨に降りこめられる日が続いている。雨は、さまざまな音をやわらかくしてくれる。部屋の中で集中して本を読むのに、最適な季節だと思う。異世界の「現実」を体感することで、目の前の「現実」が変化するような本を紹介したい。
(1)は、詩人、作家、評論家の著者による、クマネズミの親子の冒険。児童文学のジャンルに入るのかもしれないが、知性とやさしさと勇気で困難を乗り越えていく過程は、年齢を問わず心に響くものがあるだろう。突然施工された工事のため、川辺の住み家を奪われたクマネズミのタータとその弟のチッチ、そしてお父さんは、新たな地を目指して出発する。ドブネズミの帝国と闘い、危険だらけの人間の街を突き抜けていく。
(2)は、アメリカの児童文学作家によるジョン万次郎の青春記。副題に「サムライ」の語があるが、万次郎は、土佐の漁師の家に生まれた。漁に出ていた14歳の時に遭難し、数奇な運命をたどってアメリカの地を踏んだ日本人となるのである。約10年後に日本に帰着するまでが描かれる。
一人の少年が、異文化に出会い、翻弄(ほんろう)される中で描かれる心理描写が瑞々(みずみず)しく、若者らしい好奇心とまっすぐな心で生きのびていく姿が清々(すがすが)しい。また、彼を養子に迎えた捕鯨船の船長をはじめ、周りの人々のあたたかさ、かっこよさにも痺(しび)れる。帰国した万次郎が、世界中で集めた貝を母親にプレゼントしながら言う「いろいろな場所からやってくるんだ。色も、大きさも、まちまちだけど、みんなきれいなんだ」という言葉が深く心にしみた。
(3)は、栗林忠道や島尾ミホらに新たな光を当てたノンフィクション作家によるエッセー集。仕事の取材であっても常に一人の人間として対峙(たいじ)し、細やかに掬(すく)い上げられたエピソードが楽しい。「目の前にいる人に惜しみなく自分を差し出すこと」とは、亡くなった俳優の児玉清さんを回想して書かれた言葉だが、梯さん自身にも通じている言葉だと思う。自分の心にも留めたい。=朝日新聞2018年6月16日掲載