桜庭一樹が読む
「なんじ呪わしき鯨よ、わしは汝(なんじ)に引きずられ、ずたずたになりながらも、汝を追いつめてみせるぞ」
時は十九世紀半ば。捕鯨船でアメリカ東海岸を出航したエイハブ船長は、大海原で、伝説の白鯨モービィ・ディックと死闘を繰り広げる! 自身も捕鯨船員だった著者の実体験から紡がれた、世界の捕鯨史の詳細な解説と、神話的想像力から生みだされた、怪獣映画のごときスペクタクルシーンが融合した、大迫力の叙事詩的巨編である。
でも、ちょっと待って。そもそもなぜ捕鯨をしてるの? アメリカ人も、鯨、食べてたの!?
じつは古来、鯨の油は灯火用の重要なエネルギー源だった。いまでいう石油のようなものだろうか? だから、世界の海を股にかけ、エネルギーの塊たる大鯨を追うエイハブ船長の冒険は、かつて西へ西へと未開の地を進んだ勇敢なる開拓民たちの鏡像とも言えるのだ。
一方で、この物語はアメリカの影の部分も背負っている。エイハブ船長はかつてモービィ・ディックに片脚をもがれ、その復讐(ふくしゅう)のため、異常な執念を燃やして後を追っているのだ。やられたらやりかえせ、片脚をもがれたら殺せと、敵と決めた何者かに戦いを挑み続ける彼の姿は、“アメリカ中心の世界平和(パクスアメリカーナ)”の暗部そのものだ。そのため、新聞の政治風刺漫画では、たとえばG・W・ブッシュ元大統領とイラク戦争など、大統領と時事問題をネタにするとき、エイハブ船長と白鯨の似姿として描かれることが多いという。
著者は同時代の文豪ホーソーンを天才と崇(あが)めていたが、自身は長らく忘れ去られた作家となっていた。だが二十世紀初頭から、本書が予言的作品だと再評価されだし、アメリカ文学史の最重要作家として返り咲いた。
物語のラスト、すべてが終わった凪(なぎ)の海のシーンを読んだとき感じた、巨大な安堵(あんど)と悲しみと虚無を、わたしは今だ忘れがたい。拷問のように長い作品ではあるけれど、ぜひぜひ、読み通してほしいと願う。=朝日新聞2018年6月16日掲載