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科学にワクワク 人を解き放つ自然の不思議

日本海を赤く染め夕日が沈む。この海に、この光に、心ときめく科学の世界が広がっている=新潟県柏崎市、三沢敦撮影

 美しい踊りを前にして、理屈をこねるのは野暮(やぼ)だろう。ただ刮目(かつもく)して見る。魅了されるとはそういうことだ。
 科学者とは、自然に魅了されてしまった人のことである。昆虫だろうが、天体だろうが、海洋だろうが、素粒子だろうが、ただありのままの対象の姿に、目を見開き、耳を澄ませる。そこにしみじみと湧き起こる感動がある。
 物理学者リチャード・ファインマンによる『光と物質のふしぎな理論』は、そんな科学のわくわくに満ちている。光と電子の織りなすダンスに心奪われた著者が、あるがままの自然の「理屈に合わない変てこな姿」を、素人にもわかる言葉で喜々として語る。
 私たちはあまりに光を見慣れてしまった。たとえば光が回り道せず、いつでも最短経路を直進することなど、さして不思議とも思わず常識として受け止めている。ところが、ミクロの世界に分け入っていくと、自然はまったく不可解なふるまいを見せる。光が直線以外の経路を通ったり、「光速」より速く進んだり遅く進んだりする。私たちが「当たり前」と思っていたことは、実は人間スケールの常識に過ぎないのである。科学は、人間の想像力を人間のスケールから解放していく。

海が日常支える

 微細な素粒子と心通わせ合う科学もあれば、悠久の時間スケールで動く海洋のふるまいに心寄せる科学もある。現代の海洋学の知見によれば、地球上の海水は1千~2千年もの歳月をかけて、表層と深層をまたいでゆっくりと循環しているそうである。
 『日本海 その深層で起こっていること』の著者・蒲生俊敬は、そんな全海洋のミニチュア版として、日本海に着目する。日本海を取り囲む四つの海峡はどれも浅い。そのため、海洋としての閉鎖性が高く、独立した海水循環のメカニズムを持つ。その狭さと閉鎖性ゆえに一般の海洋よりも敏感に地球環境の変化に反応する日本海には、地球全体でこれから起こることを先取りする「炭鉱のカナリア」としての役割が期待されているという。
 本書を読むと、温暖かつ湿潤な気候と豊かな水資源が育む日本の風景を、見えないところで支え続けてきた日本海のダイナミックな「熱塩(ねつえん)循環」のメカニズムに、いまさらながら感謝の念が湧いてくる。
 深々と緑生い茂る夏の山々を見上げながら、日本海底層の海水の流れを思い、繊細な夕焼けの色彩に見惚(みほ)れながら、光子と電子の不可思議なダンスを想(おも)う――何げない日常が、実は思いもしないものたちに支えられていることに気づくこと。科学をまなぶ経験の大きな喜びがここにある。

「自分の体」とは

 素粒子に、海洋に、あるいは無数の天体や樹木の存在に私たちは支えられている。ところでその「私」とはいったい何者だろうか。
 『あなたの体は9割が細菌』の著者アランナ・コリンは、私たちが「自分の体」と思っている肉体のうち、ヒトの部分は10%しかないと指摘する。ヒトの腸管内には100兆個の微生物がすみつき、指先にはイギリスの人口を上回る微生物が付着している。
 それらの微生物の活動が、私たちの心身の健康に深い影響を及ぼしている。食べるということは本来、脳を喜ばせるだけでなく、腸を喜ばせることであり、腸内にすみつく細菌たちを喜ばせることであった。
 「私」は想像以上に細菌なのだ。そして、樹木であり、天体であり、海洋なのだ。自然と心通わせ合う優れた科学者の仕事に触れると、そう思わずにはいられなくなる。=朝日新聞2016年8月21日掲載