この春、「『未来の担い手』を育てる本校の生徒は……」で始まる、ある中学校長の全校生徒に向けてのメッセージ文に出合った。そこには「笑顔が基本、みんな仲良し」とあり、「本校には『いじめ』はない。あるのは、『絆』だけ」と記されていた。「うっそう!」とつぶやく人。「そのとおり」とうなずく人。心配なのは後者の人たちだ。
私はそういう人たちが問うことから遠ざかり、大学生になってもなお独り居はだめ人間のすること、と思い込み、いつも笑顔でいなくてはと痛ましい努力を続けるのを三十数年、見続けてきた。いわゆる「勉強」のできない学生たちではなかった。「未来の担い手」と期待されている人たちでもあったろう。
が、その人たちは、成長の大部分は「ひとりでいる時に起こる」というE・L・カニグズバーグの言葉(『ベーグル・チームの作戦』)も知らず、学校が提示してよこしたスローガンをそのまま信じて、自分自身、すでに加害者にもなりつつあるのだった。
新しい出発促す
今、学校への足が重い人、いじめにおびえている人にぜひ、と薦めたいのは『きみは知らないほうがいい』である。主人公は複数のいじめの矢が常時とびかう教室に、誰とも距離をとりながら、ひとり黙って座っている十二歳の少女。
物語はこの少女が同級生の男の子と偶然バスに乗り合わせたことから大きく動きだすのだが、作者は登場人物を単純に善悪に分けることはしていないし、社会の現実を書く時にも、無責任に一方にのみ加担する愚は犯してはいない。が、私がこの本をとりあげたのは、常態化されたいじめを描きながら、子どもたちに新しい出発への決意を促しているからで、しかもそれは可能だと確信できたからだ。
知るより感じる
私が十代の終わりを生きる学生たちと付き合ってきて、驚いたことは他にもある。例えば個性個性と騒ぐわりには、みんな似たような恰好(かっこう)をしたり、自分が心から歩みたいと思う道を進むようにいうと、「それってわがままじゃないんですか」と驚いて聞き返してきたり。
そこである年新入生のゼミで『増補 オヤジ国憲法でいこう!』(しりあがり寿・祖父江慎著、イースト・プレス・1296円)を読むことにした。装丁に驚いた学生たちだったが、第1条「個性ハ必要ナシ」に始まる楽しくも過激な言葉で自分たちの思い込みを次々壊されて、彼女たちの表情は少しずつすっきりしたものに変わっていった。
ところで、今年五月、イングランド1部リーグの優勝が大方(おおかた)の予想を裏切ってレスターのチームだったことは、サッカーファンだったら誰だって知っているに違いない。この時のTV画面には私も仕事の手を止めて見入った。ただし、後方の観客席を。レスターに生まれ育ったインド系移民二世が『おいぼれミック』に書いていたことは本当だった。観客席には白いターバンの人が多数見えた。
レスターはインドからのシク教徒の移民の多い町だという。そこには作品にあるように人種対立も起こりうる。が、この五月、ロンドンには初のムスリムの市長が誕生した。四〇代。パキスタンからの移民二世だ。私はここに歴史の新しい息吹を感じている。
閉じられたLINEの世界でばかり群れていないで、顔をあげて、周囲を見てみよう。吹く風をあなた自身の肌に受けてみよう。月の光を全身に浴びたこと、ある? レイチェル・カーソンは『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子訳、新潮社・1512円)の中で言っている。「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています」と。=朝日新聞2016年8月28日掲載