今年のノーベル医学生理学賞が大隅良典氏に決まった。受賞理由は、オートファジーのメカニズムの発見である。「オートファジー(autophagy)」とはギリシャ語の「自己(auto)」と「食する(phagy)」を組み合わせた用語で、日本語では「自食」とか「自食作用」などと訳されている。
同賞受賞決定翌日の記者会見で質問攻めに疲れた大隅氏が、「(昨日からほとんど何も食べておらず)私は今オートファジー状態」と彼らしいユーモアで会場を和ませたが、果たしてオートファジーとはいかなる生命現象なのか? また、その「メカニズム」とは何なのか?
この疑問に応える信頼できる啓蒙(けいもう)書が、大隅氏直系の弟子である水島昇の『細胞が自分を食べるオートファジーの謎』である。オートファジーは文字どおり「自食」ではあるが、細胞が細胞を食べるのではなく、細胞が自分の細胞内の一部を食べる(分解する)生理作用を指す。
自食(オートファジー)は非常手段
誤解を恐れず単純化すると、オートファジーは栄養飢餓に陥った細胞が自身の成分、主にたんぱく質や細胞内小器官(オルガネラ)を分解して、そこから栄養素を得る非常手段なのだ。言い換えると、細胞内の不要なたんぱく質を分解して原料のアミノ酸を調達し、それを利用して新たに必要なたんぱく質を合成するリサイクルシステムである。
これに加えて、オートファジーは細胞内の浄化作用やその他様々な機能をも担うことが明らかになりつつあり、医療などに役立つことが期待される。研究当事者である著者は、その生理機能や反応メカニズムについてとても丁寧に解説している。
たんぱく質は実に様々な働きをする。あるものは生物の構造を作り、あるものは酵素として生体内化学反応を仲立ち(化学では「触媒」という)する。そのたんぱく質を合成するために食品でたんぱく質を取っているといってもよい。ただし細胞内のたんぱく質を分解してアミノ酸を調達する量の方が、私たちが食事から得る量よりも約3倍多い。たんぱく質の合成と分解が見えない動的平衡の上で成立し、生命が維持されている。
未来に託す情熱
永田和宏の『タンパク質の一生』は、そのようなたんぱく質がいかに作られ、どのように機能し、管理され、果てていくのか、人間の一生にたとえながら詳しく語りかける。オートファジーについては「死」との関連で扱っている。著者は大隅氏と同世代の研究仲間の会「七人の侍」の一人だ。歌人でもあり、軽妙な文体が心地よい。
「生命活動の基本は、DNAの暗号を解読してタンパク質を正しく作り続けること」。日頃、そう語る森和俊の『細胞の中の分子生物学』は教室にいるような臨場感がある。分子生物学上の重要な発見の多くはノーベル賞の対象となっているが、それらを平易に紹介して、現代生命科学史の概説にも一役買う。自身、たんぱく質の品質管理機構の一つ「小胞体ストレス応答」の仕組みを解明したが、科学が人間のなせるドラマでもあることを再認識させてくれる。
大事なことは科学をする心である。大隅氏は受賞発表直後、「将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないか」と、強い願望を述べた。科学者の良心を信頼し、科学に「すぐに役に立つ」ことを求めない。それが、結果として人類の幸福に帰するとの信念があるのであろう。
重なる研究不正や基礎研究軽視の現状に直面し、友人が生命科学は絶滅危惧種となったと自嘲した。だが我々は、真理の探求が死語だとは信じたくない。これら3冊が示すのは、基礎研究に未来の希望を託した生命科学者の一途な情熱である。=朝日新聞2016年11月06日掲載