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「世界一つよい女の子」の魅力たっぷり 「長くつ下のピッピの世界展」開催

文:志賀佳織

 『長くつ下のピッピ』といえば、今の子どもたちはもちろん、1960~70年代に子ども時代を送った大人たちにとっても、特別な思い入れのある児童文学の秀作だ。この作品をきっかけに、作者であるリンドグレーンのほかの著作や、北欧の児童文学に興味を抱いてどんどん読み進んだという人も少なくないに違いない。

 ピッピは9歳の女の子。スウェーデンの、小さい、小さい町の町はずれの、草ぼうぼうの古い庭に建つ古い家、“ごたごた荘”にたったひとりで住んでいる。お母さんは、ピッピが赤ちゃんのときに亡くなって、お父さんは船長だったけれども、ある嵐のときに海の中にふきとばされて姿が見えなくなった。でもピッピは、お母さんは天の上にいて、天にあいた小さな穴から娘の自分を見下ろしていて、お父さんもどこかの島に流れ着いて、黒人たちの王様になっていると信じている。一緒に暮らしているのはサルのネルソン氏。隣の家にはトミーという男の子と、アンニカという女の子のきょうだいも住んでいて、毎日楽しく暮らしているのだ。

イングリッド・ヴァン・ニイマン 《『長くつ下のピッピ』出版社用ポスター原画》 1940年代後半 アストリッド・リンドグレーン社(スウェーデン)所蔵 Illustration Ingrid Vang Nyman © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company

 「世界一つよい女の子」というサブタイトルどおり、ピッピは馬を持ち上げられるくらいの力持ち。そして、正直で親切で勇気があり、大人が勝手に決めたルールに縛られない大きな心を持つ。刊行以来子どもたちの心を魅了し続けているこの物語は、ひと頃は、テレビドラマ化されたり映画が公開されたりと、日本でも一大ブームとなった。

 そんな『長くつ下のピッピ』と、リンドグレーン作品の世界をたっぷり味わえる展示が、7月28日から9月24日まで、東京都八王子市の東京富士美術館で開催中だ。会場に入ってまず驚くのが、その色彩の鮮やかさ。黄、赤、緑、青といった北欧らしいヴィヴィッドな色の壁に、まるで外国の可愛い子ども部屋に迷い込んだように、作品の原画などが、これまた可愛らしい縁取りが施されるなどして、工夫を凝らして展示されている。

 ピッピの住む“ごたごた荘”を忠実に再現した大型模型などもあり、作品の世界と、スウェーデンをはじめとする北欧の暮らしというものを肌で実感できて、子どもでなくても心がときめいてしまうことだろう。

『やかまし村の子どもたち』シリーズの展示

 その一方で、展示を通じて伝わってくるのが、作者であるリンドグレーンの生き方であり、哲学であり、子どもたちを愛する心である。作家であるとともに、常に社会の弱い者たちを守る立場に立って発言するオピニオンリーダーでもあった彼女のメッセージは、現代に生きる私たちにとっても、謙虚に耳を傾けたい示唆に満ちている。彼女はどんな人生を歩んだのだろうか。

 リンドグレーンは、1907年、スウェーデンの南部、スモーランド地方の農場に、4人きょうだいの2番めの子どもとして生まれた。愛情に満たされた子ども時代を送った一方で、10代になると小さな町の狭量さに反抗しては、壁にぶつかったという。24年、17歳のときに地元紙のヴィンメルビー新聞で働き始めるが、18歳のとき未婚のままみごもってしまう。相手はヴィンメルビー新聞の編集長。既婚者であった。当時、小さな田舎町で大スキャンダルとなり、リンドグレーンは、ストックホルムに移り住む。そしてデンマークのコペンハーゲンの病院で男の子を産むと(この病院では父親の名前を明かす必要がなかった)、その子をデンマークの里親に預け、自分はストックホルムで秘書として働きながら時間と旅費を捻出しては、できる限り息子に会いに行くという日々を送ることになった。

アストリッド・リンドグレーン肖像 © The Astrid Lindgren Company / Jacob Forsell/TT

 今回の展示で、リンドグレーンの生涯をまとめた10分ほどのビデオが流されるが、その中で、このときの息子と離れなくてはならなかったつらい経験が、後に子ども向けの物語を作る原点となっているといった話をしているのが印象的だ。図録の中にも、「あの子の泣き声が私の中で、いつもいつも響いているのです。どんな状況においても、私が我を忘れて子どもの味方をしてきた理由は、この泣き声にあるのだと思います」という彼女の言葉が収められている。

 21歳のとき、王立自動車クラブの支配人、ステューレ・リンドグレーンと出会い、結婚した彼女は、ようやく息子を引き取ることができ、新たに生まれた娘とともにストックホルムで、家事と育児に専念する。『長くつ下のピッピ』は、その娘カーリンが病気で寝ていたときに思いつきで言った「“長くつ下のピッピ”のお話をして」と頼んだひとことから生まれた。「名前が個性的なのだから、その子も個性的でなくては」と考えたリンドグレーンは、娘とその友人のために、数年にわたって物語を紡ぎ、44年5月、娘の10歳の誕生日に、それを手作りの1冊の本にして贈った。そして、翌45年出版すると、これが2週間で2万冊を売る話題作になった。

リンドグレーンの仕事場 © The Astrid Lindgren Company

 そこからの活躍は知られるとおりである。『ピッピ』を刊行した出版社に編集者として勤め、定年まで多くの作家を育てながら、作家としても『ピッピ』だけでなく、『やかまし村の子どもたち』をはじめとする『やかまし村』シリーズ、『名探偵カッレくん』、『ちいさいロッタちゃん』、『やねの上のカールソン』、『エーミル』などなど、次から次へと子どもたちを主人公にした、子どもたちのための、子どもたちに愛される物語を生み出していったのだった。

 一方、70年に出版社を定年退職すると、リンドグレーンは、子どもや動物の権利を守り、不正に対して声をあげるオピニオンリーダーとして活躍し始めることになる。特に78年にドイツ書店協会平和賞授賞式で行ったスピーチ「暴力は絶対だめ!」は、翌年のスウェーデンにおける子どもへの体罰禁止の法制化へとつながった。今回の展示のために来日した孫娘であり、アストリッド・リンドグレーン社シニアアドバイザーのマリン・ビリングさんはこう言う。

 「私の祖母がリンドグレーンだということを、私は大人になってから知りました。彼女はいつも孫たちを食事に招いては、劇場や映画館に連れていってくれ、そばにいてくれる、普通のおばあさんでした。でも、私といないときの祖母は、世界を変える働きをしていたんですね。彼女はいろいろな意味で先駆者でした。子ども向けの本が、みなお行儀よく、大人の言うことに従うように教えていた時代に、彼女は大人が勝手に決めたルールに縛られない大きな心の女の子『長くつ下のピッピ』を書きました。自分の中に残っている子どもの自分を大切にし、当時正しいとされていた概念に縛られずに本を書いたのです。彼女の心の中にある善悪を見分けるコンパスは、助けと必要としているすべての人々のためにいつも彼女を立ち上がらせました」

アストリッド・リンドグレーン作・画 《オリジナルピッピ》 1944年 カーリン・ニイマン(リンドグレーンの娘)私物 Text and illustration Astrid Lindgren © The Astrid Lindgren Company. Courtesy of The Astrid Lindgren Company

 本展では、『ピッピ』の初版本、画家イングリッド・ヴァン・ニイマンや、イロン・ヴィークランドによるスウェーデン版の挿絵、桜井誠による日本版の挿絵のほか、娘カーリンに贈った世界でひとつの手作り版『ピッピ』、原稿のほか、タイプライターや日本の能面など、リンドグレーン個人の私物も出品されている。さらに『やかまし村』や『ちいさいロッタちゃん』関連の展示などもあり、見応えのある約200点が並ぶ。夏休み、ぜひ親子で楽しみたい企画展だ。

 リンドグレーンは、意見を述べるとき、いつも温かさとユーモアをもって語ったと孫娘のマリン・ビリングさんは言う。今、皆さんに伝えたい祖母の叡智の言葉として、最後に次のひとことを贈ってくれた。

 「子どもたちに愛を、もっと愛を、もっともっと愛を注いでください。そうすれば、思慮分別がひとりでに育ちますから」