1. HOME
  2. 書評
  3. 「私は謎」永遠化のために独走 朝日新聞読書面書評から

「私は謎」永遠化のために独走 朝日新聞読書面書評から

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2018年08月11日
マン・レイ 軽さの方程式 著者:木水 千里 出版社:三元社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784883034598
発売⽇: 2018/06/20
サイズ: 22cm/327,54p

マン・レイ 軽さの方程式 [著]木水千里

 世界的知名度がありながら学術的な研究があまりないマン・レイに「愕然とした」著者は「不憫に思い」「彼に同情」。この「奇妙な状況」に興味を持ったことが本書執筆の切っ掛けとなった。
 マン・レイは芸術家としての評価が二、三流扱い。なぜ?を解明しながら、美術史に位置づけるのが目的。彼の評価が低いのは、モードやポートレートの写真を美術界の中と外に同時に存在させたことによって、芸術の外へ追放される形になったからだ。美術史にも位置づけられなくなってしまった。(時代や状況の一歩先を走る彼にとっては、むしろ本望、名誉じゃないの)
 そんな副産物が、写真家として構築した人脈を駆使しながらの芸術場への参入(利用しちゃえ)。シュルレアリストである彼は、ダダイストとしてもデュシャン、ピカビアと共に〈ダダ三銃士〉に名を連ねる。時も時、1966年、ロサンゼルスのカウンティ美術館での大回顧展。彼はここぞと写真家の肩書を返上、画家としての存在価値を提示するが評価はかんばしくなく、批評家に「ヨーロッパ化したアメリカ人」と批判される。(ヨーロッパコンプレックスの批評家などクソ食らえだ)
 批評家は、彼の自由な表現手段を「何でも屋」とこき下ろす。(何でも屋で大いに結構、大衆消費社会こそ?世紀の芸術の生き延びる術! 首尾一貫は不要)
 60年代アメリカでのダダイスム、シュルレアリスムの再評価がネオ・ダダ、ポップアートを出現させた。おかしなことにマン・レイがポップアートの預言者だって?(言ったでしょ、大衆消費社会の時代だと)。さらに彼の歴史化があるとかないとか。美術界の思惑とは裏腹に、歴史化されることを嫌悪しているのは当のマン・レイ自身ですよ。
 一方、モダニズム信奉者の批評家はシュルレアリスム思想を嫌う。ところが、彼が評価するモダニストの画家はシュルレアリスムの影響を受けたという。こんなギクシャクした潮流の中でマン・レイは「私は近作を描いたことがない」と言い放って、昔の自作のレプリカ制作に没頭。再制作によって作品の永続化を図り、あらゆる臆測を無視。(創作と生き方のハプニング化で遊んじゃおう)
 著者はマン・レイが学術的な場で評価されないことを危惧するが、もはやマン・レイ自身がメディア。なるようになるという生き方で美術界を振り切って独走する。海外の研究者はどこかのカテゴリーに分類しないと居心地が悪いらしい。本人はそんなことに無頓着。霊感に忠実に「私は謎」の永遠化のため、自己に従うだけだ。(本書の役割は十分達成してます)
    ◇
 きみず・ちさと 1976年生まれ。パリ第1大学大学院造形芸術研究科で美学を専攻し、博士号を取得。お茶の水女子大グローバルリーダーシップ研究所特別研究員を経て、成城大などで非常勤講師。