1. HOME
  2. インタビュー
  3. 朝宮運河のホラーワールド渉猟
  4. 「得体が知れない」ものこそ、恐ろしい 三津田信三さん選りすぐりの怪奇小説集「怪異十三」

「得体が知れない」ものこそ、恐ろしい 三津田信三さん選りすぐりの怪奇小説集「怪異十三」

文:朝宮運河、撮影:斉藤順子

――三津田さんが怪奇小説のアンソロジーを編むという企画は、ずいぶん前からあったそうですね。

 はい。もう何年前だったか覚えていないほどです(笑)。ただ二つ返事で引き受けたのは間違いありません。とはいえ依頼した編集者は、おそらく気楽に考えていたと思うんです。僕の好きな作品を、さっと編むだけで良いと。ところが、ここで僕の凝り性が出てしまった。「本当にぞっとした作品であること」「有名な作品は除くこと」など厳しい基準を設けた結果、いつまで経っても収録作が集まらない。歳月だけが流れていく(笑)。特に足かせになったのが、「本当にぞっとした作品」という選定基準ですね。僕は怪奇小説を読んでも、あまり怖いと思わないほうなので。

――この種のアンソロジーで、有名作を除くというのも冒険ですよね。

 そうなんです。よく考えると僕が大好きなM・R・ジェイムズも、岡本綺堂も入れられなくなってしまう。最初は一部の好事家を読者対象に考えていたので、ハードルを高くしすぎてしまった。でも本書を買って下さる読者の多くは、圧倒的に拙作のファンではないか。もしかすると海外物は、ほとんど読んだことがない読者ではなかろうか。と遅まきながら気づきました。それで選定基準を見直したら、作業が一気に進んだわけです。

――国内作品が七編、海外作品が六編。怪奇小説の古典から、ホラーマニア垂涎のレア作品まで、バランスのいいセレクションになっています。

 自分で言うのも何ですが、悪くない選択だと思っています。M・R・ジェイムズや岡本綺堂などの定番作家から、好事家でも初めて読むだろう作品まで、一応は目配りをしたつもりです。「解説」では各作品の読みどころを、僕自身の読書体験を交えながら紹介しているので、ここも面白く読んでもらえるのではないでしょうか。

――「半七捕物帳」シリーズで知られる岡本綺堂は、怪談の名手としても評価が高いですね。その魅力とは?

 道具立てなど古めかしく見えるかもしれませんが、描かれている怪異はきわめて現代的です。淡々と物語が進行して、徐々に雰囲気が盛り上がったところで、怖さのピークがやってくる。だけど怪異の詳述はしない。ピンポイントで書いて終わり。そのセンスが素晴らしい。M・R・ジェイムズもそうですが、こういう優れた怪奇幻想系の作品は何年経っても古びない。しかもどうして怪異が起こったのか、作中ではほとんど説明されません。このわけの分からなさは、現代の「実話怪談」の一部に通じるものがあります。今回は数ある綺堂怪談のなかでもとりわけ実話性が強い「妖異編二 寺町の竹藪」を選びましたが、他にも傑作が山ほどある。探偵物も面白い。つくづく短編のうまい作家だと思います。

――「竈(かまど)の中の顔」は多くの怪談を遺した田中貢太郎の代表作。いやーな後味の作品です。

 綺堂に比べると、田中貢太郎の怪談はやや古びてしまった面があります。まとめて読むと、ちょっと辛いかもしれません。ところが「竈の中の顔」だけは別格です。今でも充分に怖い。主人公が碁を打つために僧の庵を訪ねて……という筋立ては、ある種のパターンとも言えるもので、別に珍しくはありません。しかし、後半で描かれる現象がものすごい。あれほどインパクトのある怪異は、そうそうない。ほとんどの読者が一度読んだだけで、あの不気味さが忘れられなくなるでしょうね。

――日本の現代作家からは宇江敏勝、菊地秀行という意外なお二人が選ばれていました。

 宇江さんは民俗学方面の著作で有名ですが、優れた民俗伝奇系の小説も多く書かれています。今回選んだ「蟇」はそのなかでも一番短くて、しかもとびきり怖かった作品。菊地さんの「茂助に関わる談合」は、伝奇アクション小説の書き手というイメージを覆す時代小説で、やっぱりとびきり恐ろしい。大人になった僕を心底ぞっとさせてくれた貴重な二作なので、ぜひ入れたいと思いました。

――海外編だとスティーブンスンの「ねじけジャネット」が怖いですね。あの『宝島』の作者が悪魔の出現を描いたものです。

 悪魔が出てくる怪奇小説は、昔から正直ピンと来ませんでした。こちらが日本人のせいか、いまいち恐怖が伝わって来ない。でも「ねじけジャネット」は怖かった。キリスト教の説教臭さはありますが、それを除いてもなお異様なおぞましさが残ります。この作品にまつわるエピソードも好きです。療養中のスティーブンスンが暇つぶしに本作を書いて、それを奥さんに朗読したところ、二人とも怖くなってしまい、手を取り合って宿の部屋から逃げ出したという(笑)。

――ほかに海外編で思い入れの作品はどれでしょうか。

 本書で僕がもっとも怖かったのは、ハーヴィーの「旅行時計」です。主人公が叔母の家に泊まっているとき、同家に滞在中のある女性に頼まれて、彼女の留守宅まで時計を取りに行く。それだけの話なのに、問題の家に入ってからの緊張感がすごい。その家にはなぜか召使いが居着かない、といった仄めかしもあって、読んでいて不安になる。クライマックスで描かれる怪異も、直接的な描写はない。ただし、何とも言えない厭な表現がなされていて、とにかく想像力を刺激される。こういうセンスが感じられる恐怖演出は、書き手としても勉強になります。

――三津田さんの「怖さのツボ」とは? 幽霊ですか?

 いえ、幽霊はあまり怖くないです。目の前に出てきたら、もちろん厭ですが(笑)。怪異の正体が分かった瞬間、一応「そうか、幽霊か」と納得できてしまう。そうなると相手が霊的な存在でも、もう怖くなくなるわけです。ただし同じ幽霊でも、そこで死んだ者は一人もいない、誰かが化けて出る理由が一切ないとなったら、それは怖いかもしれません。僕が一番怖いと感じるのは、「得体の知れないもの」「わけの分からないもの」なんです。

――ボーナストラックとして、三津田さんの短編「霧屍疸(きりしたん)村の悪魔」も収録されています。この作品によると、三津田さんは一度ホラーに挫折しているとか。

 十代の頃ですね。当時は本格ミステリが好きで、勉強のつもりで古典ホラーにも手を伸ばしたところ、面白さが分からなくて挫折しました。それからミステリ漬けの日々を過ごした結果、すべての謎が解かれることに物足りなさを覚えて、あらためてホラーを読んでみたら見事にはまってしまった。きっかけはスティーヴン・キングです。日本でブームになる前に読んだのですが、そこから古典までさかのぼって、一時期はホラー中心の読書でした。

――最新作『碆霊(はえだま)の如き祀るもの』(原書房)でも、本格ミステリとホラーの要素が見事に溶け合っていました。

 『碆霊の如き祀るもの』を含む「刀城言耶」シリーズは、謎解きが終わってもなお怖さが残り続ける……そんな作品を目指しています。シリーズを書き始めた当初は、なかなか読者に理解されなかった気がします。今では「ホラー・ミステリの書き手」として、なんとか認知してもらえるようになったでしょうか。

――ミステリファンの皆さんも、『怪異十三』でホラーの魅力に開眼してほしいものです。

 イーディス・ウォートンの「魅入られて」のように、ミステリアスな結末をもった作品も入っています。描かれていない部分を想像して怖くなる、怪奇短編ならではの面白さを知ってほしいと思います。

――「ホラーは短編に限る」という意見があります。三津田さんはどう思われますか?

 まったくその通りです。恐怖という感情は、ごく短い時間しか持続しない。どんなに怖くても、背筋がぞっとするのはほんの一瞬でしょう。それを活字で表現するには、長編よりも短編が向いています。ただし本当に怖い短編は後を引きます。しばらく経って思い返すと、ざわざわっと鳥肌が立つ。よく「三津田信三のホラーを読んだら風呂に入れなくなった、トイレに行けなくなった、どうしてくれる」という感想をいただきますが、書き手冥利に尽きますね(笑)。