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愛への執着、手放し歩き出す 彩瀬まるさん「不在」

彩瀬まるさん=宮田裕介撮影

 直木賞候補にもなった気鋭の作家・彩瀬(あやせ)まるさん(32)が長編小説『不在』(KADOKAWA)を発表した。家族の愛情を受けられずに育った主人公が父の遺品を整理しながら、愛なき世界を強く生きていこうとする物語。暴力を主題に据えた意欲作だ。
 主人公は、31歳の人気漫画家・明日香。開業医として2代目の父は母に暴力を振るい、離婚した。疎遠だったその父が死んだことで物語が動き出す。「明日香を除く親族は屋敷に立ち入らないこと」。不可解な父の遺言に明日香は戸惑いつつ、住居兼病院の広々とした屋敷を相続。遺品を片付ける日々のなかで、過去の記憶がよみがえる。仲が悪い両親、厳格だった祖父、引きこもりだった叔父、家族の期待に応える兄と兄のようにできなかった私……。
 やがて、過去の記憶が現在をむしばむように、明日香は仕事がうまくいかなくなり、恋人で5歳下の劇団の俳優、冬馬(とうま)とも不和に。明日香は望む形で愛してくれなかった家族への未練や期待を捨て、一人で歩く決意をする。
 彩瀬さんは2010年、デビュー。別れた愛人の左腕と暮らす表題作などを集めた短編集『くちなし』が今年1月の直木賞候補に。本作は「迷子だった明日香が迷子でなくなる話」と語る。「自分が安定して描ける『ゆりかご』の中で描いていた。でも、このままでは行き詰まると思った。私自身や社会の中で結論が出ていないことに挑戦したかった」
 「暴力」を主題にしたのは初めてだという。明日香は締め切りが続いて多忙な日々だが、母がけがで入院し、世話もすることに。支配的に愛した冬馬が言うことを聞かず、さらにストレスを募らせる。そして、父が母に暴力を振るっていたように冬馬を血が出るほどに殴ってしまう。「外因で人格は変わるし、人格は思ったより、確かなものではないと思う。作家として描くべきだと思ったし、描けるようになりたいと思った」
 福島へ旅行中に東日本大震災に遭った経験をつづったルポルタージュ『暗い夜、星を数えて』で注目を浴び、16年の小説『やがて海へと届く』では、震災で失った親友の死と向き合う女性を主人公にした。だが人物造形では「心残り」があるという。「つらくて、普段通り行動できない人は少なくなかった。そういう心境の人たちをしっかり描けなかった」
 自身も幼少期、父の仕事の関係でスーダンや米国で暮らし、16歳の誕生日前夜、母をがんで亡くした。本は救いになった。「理想の家族とか、父とか、そうしたものに悩んだり執着したりしている人たちが(そうした執着や苦悩なしに)生きていければ、うれしい」(宮田裕介)=朝日新聞2018年08月25日掲載