島本理生の「切ない」恋愛小説には、男から受けた暴力を女性がどう受け止めるかという主題が目立つ。例えばかつての短編集『大きな熊が来る前に、おやすみ。』(表題作は芥川賞候補作)は、3編個々にその暴力の瞬間が痛ましく綴(つづ)られていた。筋のひねりが利いた佳編ぞろいでもあった。
その島本が『ファーストラヴ』で遂(つい)に直木賞を得た。長年のファンの喜びはよくわかる。キー局のアナウンサー試験に失敗した直後の女子大生・環菜(かんな)が画家である自分の父親を包丁で殺し、逮捕時に「動機はそちらで見つけてください」とうそぶいたという発端。真相を臨床心理士・由紀と、その夫の弟の弁護士・迦葉(かしょう)が探る。最終的には白熱の裁判劇に至る構成が一見ミステリー調だが、主眼はあくまでも一人の少女の歪(ゆが)んだ自己形成、その探求にある。
小学生時から美貌(びぼう)ゆえに男性の欲望にさらされ、そのことを自己承認と捉えるしかなかった結果、自我が崩壊した環菜。腕にある自傷痕は何の訴えなのか。自分を語れない彼女と数々の証言者の登場。今なら「メンヘラ」(精神疾患者を指すネットスラング)と括(くく)られそうな類型に正しい「名前」が与えられるべきだとの主張もある。加えて、由紀も迦葉も親が原因のトラウマを抱え、人物群が負の連鎖を作りあげてゆく。
むろんファンには周知だろうが、「ただ暗い」だけが特質なのではない。哀(かな)しみを手放さないまま、ゆっくりと希望の光が射(さ)し込む経緯こそが島本小説の真骨頂だろう。自分を取り戻した環菜の裁判での発語の明瞭さは感涙的だった。
ひそかに仕込まれている主題もある。「赦(ゆる)し」がそれだ。実は由紀と義弟・迦葉には秘密があるのだが、それを由紀の夫・我聞(がもん)は黙認していた。そのことがわかったあとで、由紀と我聞を包む美しい文章で全編が終わる。「私たちはつかの間、どこでもない場所にいた。互いの視線の中に。」
阿部嘉昭(評論家・北海道大学准教授)
◇
文芸春秋・1728円=7刷12万部。5月刊行。直木賞受賞を機に男性読者も増加中。「実は男性こそ気付きの多い小説」と担当編集者。=朝日新聞2018年8月25日掲載
編集部一押し!
- インタビュー 村山由佳さん「PRIZE」インタビュー 直木賞を受賞しても、本屋大賞が欲しい。「果てのない承認欲求こそ小説の源」 清繭子
-
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「サンセット・サンライズ」井上真央さんインタビュー お試し移住が変える日常「足元の幸せを大事に」 根津香菜子
-
- インタビュー ヨッピーさん「育児ハック」インタビュー 「子どもが社会的“野生味”を身につけてくれれば」 川崎絵美
- インタビュー 砂原浩太朗さん「冬と瓦礫」 阪神大震災30年「自分は当事者なのか」書く原動力に 朝日新聞文化部
- インタビュー 松下洸平さん「フキサチーフ」インタビュー 僕の言葉を探してつむぐ、率直な今の思い 根津香菜子
- 今、注目の絵本! 「絵本ナビプラチナブック」 絵本ナビ編集長おすすめの新刊絵本11冊は…? 「NEXTプラチナブック」(2024年11月選定) 磯崎園子
- 北方謙三さん「日向景一郎シリーズ」インタビュー 父を斬るために生きる剣士の血塗られた生きざま、鮮やかに PR by 双葉社
- イベント 「今村翔吾×山崎怜奈の言って聞かせて」公開収録に、「ツミデミック」一穂ミチさんが登場! 現代小説×歴史小説 2人の直木賞作家が見たパンデミックとは PR by 光文社
- インタビュー 寺地はるなさん「雫」インタビュー 中学の同級生4人の30年間を書いて見つけた「大人って自由」 PR by NHK出版
- トピック 【直筆サイン入り】待望のシリーズ第2巻「誰が勇者を殺したか 預言の章」好書好日メルマガ読者5名様にプレゼント PR by KADOKAWA
- 結城真一郎さん「難問の多い料理店」インタビュー ゴーストレストランで探偵業、「ひょっとしたら本当にあるかも」 PR by 集英社
- インタビュー 読みきかせで注意すべき著作権のポイントは? 絵本作家の上野与志さんインタビュー PR by 文字・活字文化推進機構