子どもの頃に困っていたことを今、描いてあげたい
――銅版画の繊細な線と、あたたかみのある色使いで、動物も人も自然も同じように生き生きとした世界を描き出す絵本作家の田中清代さん。大切にしているのは、子どもの気持ちに寄り添った絵本づくりだ。
子ども向けのお話を作るときには、あんまりややこしくないというか、子どもの気持ちとか行動とか感情とかに寄り添ったものを作りたいな、っていう気持ちになります。それは自分が子どもの頃に「おとなに分かってもらいたい」という気持ちが強かったので、自分が困っていたことを今、おとなとしての自分が描いてあげたいな、という風に思っているんです。
音を聞いて何を感じるとか、暗闇を見て何を想像するとか、子どもの頃の感覚っておとなになってくるとだんだん消えていってしまいますよね。なのでそういう記憶は自分の中でとても大切で、それを掘り起こして子どもたちと共有したいな、と思っています。
――ある夏の暑い日、小川のほとりで”どった”と落ちたトマトに起きる出来事を描いた代表作『トマトさん』もまさに、自身の子どもの頃の体験から生まれた。
トマトさんは小川に泳ぎに行きたいのに、「泳ぎにいこうよ」って誘われると「そんなのみっともない」と断ってしまって、「わたしも行きたい」って素直に言えないんです。この気持ちを分かる人と分からない人にわかれるんですけど、わたし自身、おねだりするのがすごく下手な子どもで、第一声ですぐに言いたいことが言えないタイプだったんですね。そういう、ちょっと気後れみたいなものを共有してあげたいというか、あなたみたいな人がここにもいるよ、ってことを伝えたかったんです。
トマトさんの見た目が少し不気味なのも、何歳だか思い出せないくらい小さい時に、親から「家族の中で清代だけ鼻が上を向いてる」って言われて、その言葉だけがずっと残ってるからなんです(笑)。「わたしって美人じゃないんだわ」って思い込んじゃったんですよ。
自分自身が外見にコンプレックスを持っていたので、『トマトさん』を描いた時は自分のそのままとか、見たままとか、そういうものを美しいものとして提示したい、みんなに認めてもらいたい、という気持ちが強かったんです。あえて他人の描くきれいなものに合わせたくない、っていう気持ちがすごくあったんです。
「みんながきれいと思うもの」を描こうとすると、それは本当に自分の感覚で思っているものじゃなくて情報としてしか分からないことなので、真実味が出てこないんですよね。それで自分なりの表現をしたいなと思ったときに、怖さみたいなものとか気持ち悪いものも出てきちゃうんですけど、それもひとつの表現かなっていう風に思っています。
銅版画の生々しい線で生命感を表現
――小さな頃から絵を描くのが好きだったという田中さん。絵本に出合ったのは小学校の図書館だった。
実は、絵本は加古里子さんの『だるまちゃんとてんぐちゃん』くらいしか読んでなかったんですよ。でも漫画の絵を描くのが好きだった小学3年生くらいの時に児童書の挿絵に興味を持って、もっと本の絵が見たいと思って学校図書館の絵本コーナーをのぞいたら、「絵本すごいじゃん!」みたいなことを思いまして(笑)。中学生になってからは絵本雑誌の「MOE(モエ)」を買ってもらってイラスト講座にあこがれて、美術系の高校に入ってからはもう、授業も部活も美術ばっかりでした。
子どもの本やイラストに興味があると大学はふつうはデザイン科に入るんですが、わたしはデザインが苦手だったので油絵科に入って、ちゃんと絵を勉強しようと思いました。それが3年生になると具象画とか抽象画とかクラス分けがあって、その中で選んだのが銅版画だったんです。
銅版画はやっぱり、線に独特の強さがあるんですよね。特にわたしがやっているドライポイントエッチングっていう技法は、勢いとか、ちょっと生々しい感じっていうのが線に出やすいんです。筆みたいに力の入れ具合で表情がつけやすいので、感情みたいなものが出しやすいというか。それがその時のわたしにすごく合ってるな、って思ったんですよね。植物とか生き物っぽいモチーフがわたしは好きなので、自分のタッチを生かして生命感みたいなものを表現しやすいかなと思っています。
――10月11日に発売する新作『くろいの』は、その銅版画の線の力だけを信じてつくったモノクロの作品だ。
『トマトさん』は銅版画で線だけを引いて、刷ったものに絵の具で色を塗っているんですね。でもわたし自身がモノクロの絵を描く方が色を塗るより好きというか、得意かなって思っていて、白黒の絵本をつくってみたいという気持ちがずっと前からあったんです。
色の代わりにグレートーンでグラデーションを入れていくんですが、これが結構時間がかかってしまうんですよ。わたしのセンスの問題なんだけど、「これでいい」って自分が思える状態にするまで沢山の細かい線を入れていくんです。どの程度の灰色になったかは刷って確認しなきゃいけないので、手数の分だけ時間が余計にかかるんです。
取りかかったのが4年前なんですが、当時は子どもがまだ2歳だったので、最初はページ数が少ないものとか、時間のかからない企画を考えてみるのもいいかな、と思っていました。でも、どうも自分の思い入れがないと仕事が進まないということに気がつきまして。時間がない状況で、なおかつ軽くて自分のモチベーションが弱いものって作れないな、って思ったんですよね。なので時間がかかっちゃうことは予想できたんですけど、前からやりたかったことをやろう!という風に思ってやっちゃいました。
――『くろいの』はその名の通り、全身がまっくろの不思議な存在「くろいの」と「わたし」が出会い、屋根裏の暗闇の中で経験した小さな冒険を描く。
今年の2月にアメリカの大学でワークショップをした時、鉛筆で描いた下描きの読み聞かせをしたんですが、その時にその大学の先生が「子どもに向けて暗闇を描くっていうのがすごくいいね」って言ってくれたんです。暗闇を恐れるものとしてだけじゃなくて、あたたかくて、かえるべき場所として表現して、暗闇とも仲良くできる心を伝えるのが今の時代に必要なんじゃないかって。それを聞いたとき、「そういえばわたしもそう思ってた!」って思ったんですよね(笑)。
たぶん自分に子どもがいなかったら、『くろいの』はもうちょっとさびしい感じのお話になったんじゃないかな、と思います。出産して作風が変わったかと聞かれると、わたしは「あんまり変わらなかった」って答えているんですが、やっぱり子どものいる楽しさとかあたたかさっていうものが、すごく作品に出てきたと思います。子育ての経験がこれからの作品に生かされることはきっとあるんだろう、と期待しています。