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去りゆく夏 澤田瞳子

 今年は呆気(あっけ)に取られるほど早く、夏が去ってしまった。「もういいよ」と断っているのに暑さが居座り続けたこの数年がまるで嘘(うそ)のようで、「え、もう行っちゃうの」とあわてて声をかけそうになる。
 私は暑さが苦手なため、夏のイベントにとんと疎い。海やプールにもあまり興味はないし、花火といえば二十年前に南大阪まで出かけたのが最後。それだけにたまには夏らしいことをするか、と思い、今年は友人に誘われたのをいいことに、滋賀県のびわ湖大花火大会に出かけた。
 なにせ三十五万人もの人が訪れる大イベントだけに、駅を降りた時から人人人……普段、引きこもりに近い生活をしている私はそれだけで眩暈(めまい)がしたが、いざ打ち上げが始まれば頭上に閃(ひらめ)く花火の美しさはかつての記憶以上であった。
 ただ惜しむらくは、学生時代とは異なり、同行者はみな立派なアラフォー。純粋に花火を楽しむとは行かぬらしく、
 「すごいねえ。火薬の炎色反応だけであんなに色が変わるんだから」
 「赤がリチウムで、黄色がナトリウムで……あれ、青はなんだっけ」
 と歓声の合間に少しずつ、夢のない感想が挟まる。
 かく言う私はといえば、数列前に坐(すわ)る小学生の姉妹が、祖父母に教えられたのだろう。花火が上がる都度、「たまやー、かぎやー」と叫ぶのを聞きながら、
 (あれ、火事を出して江戸追放になったのは、玉屋だっけ、鍵屋だっけ)
 と仕事がらみの考え事をしていた。そしてそんな自分や友達を顧みて、目の前の美しさをそのままに楽しめるのは、若さに伴う特権なのだな、と思った。
 きっとそれは、花火だけに限らない。後先考えずにプールで泳いでぐったりと疲れてしまうのも、悩んだ末にかき氷を二つも食べて風邪をひきかけるのも、すべてこの年になると出来ないことだ。
 今年の夏は、あまりに早く過ぎた。そして私は自分がもう二度と楽しめない「夏」があることに、心細さすら覚えている。=朝日新聞2018年10月1日掲載