黒テントの佐藤信による『演劇論集眼球しゃぶり』(晶文社・絶版)について、かつて「難解」だと発言したところ、難解だと考えること自体、第三者に否定された。しかし六〇年代の小劇場演劇、つまり一般的に書けばアングラと呼ばれた一群の創作者は、「わかる」ことをあえて拒否した。なぜなら六〇年代に登場した彼らにとってそれ以前の演劇の「わかること」が退屈だったからだ。唐十郎の「特権的肉体論」もまた、難解である。なにが書いてあるのかよくわからない。それはあえてそうしているからだ。いったい誰が次の言葉を正しく理解できるだろう。中原中也についてこう書いている。
「この病者を思う度に、私はこう考える――痛みとは肉体のことだと」
解釈しようとすればきっと可能だろう。だが解釈など唐十郎にとってむしろ不本意だった。以前、別の場所にも書いたが、歯科医で治療に耐えられず医師に痛みを訴える。すると歯科医が「痛みとは肉体のことだ」と言えばきわめて難解だ。では東洋医学の治療者、たとえば鍼灸(しんきゅう)師だったらどうか。「特権的肉体論」とはこうして西洋から安易に輸入された「近代」への鋭い挑発だった。それが六〇年代の演劇を代表していた。そうした思想が六〇年代的であり、「特権的肉体論」が六八年に発表されたのはまさに時代を象徴している。
政治行動と文学
大江健三郎の『万延元年のフットボール』は六七年に刊行されている。「政治性」を帯びた小説の、その政治とは六〇年の安保闘争だが、万延元年の一揆をアレゴリーとし、そして語られる闘争は「一揆」という視点そのものがきわめて魅力的だ。あとで紹介する、すが(すが)秀実の『革命的な、あまりに革命的な』が語る六八年の、たとえば新宿騒乱事件に見るような激しさを「ならず者の革命」として捉える態度と呼応していると読める。柄谷行人は、「大江健三郎のアレゴリー」(『定本 柄谷行人集5』所収、岩波書店・品切れ)において、大江が初期小説で「僕」を使ったことの意味を解き、けれど『万延元年のフットボール』では蜜三郎と鷹四(たかし)という人物の内面を示すかのような命名の奇妙さから、日本の近代文学における固有名のあり方が、そのまま「近代」を明示するようだと分析し刺激的だ。そして、柄谷は書く。
「大江健三郎がこの作品において『一九六〇年六月の政治行動』を描こうとしたというのはまちがいである。(中略)この作品が出版されたあとの六〇年代末の学生運動を描いたといった方がよいだろう」
ならず者の革命
だから『万延元年のフットボール』が出版された翌年、つまり一九六八年を世界的に革命が起こったと規定するすがの『革命的な、あまりに革命的な』が魅力的なのは、なにが、どのように、「六八年革命」が存在したのか、具体的、例証的に、いわばはっきりとした論述を巧みに回避しつつ、戦後思想史、もっというなら戦後左翼思想のパラダイム変遷史として、本書に付された帯にあるように「日本現代史に新たなパースペクティブをひらく」ことに成功していると読めたからだ。「規律/訓練」によって統率された組織ではない「ならず者」による戦いは、サム・ペキンパーが六九年に発表した映画「ワイルドバンチ」のならず者にも通じる。その後「六八年」について書かれた本は数多く刊行されたが、すがほどの面白さは感じなかった。小熊英二の『1968』(新曜社・上下各7344円)、そして、最近になって刊行された四方田犬彦の『1968[1]文化』(筑摩選書・2592円)など意欲的な著作にも注目したい。=朝日新聞2018年10月6日掲載