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悲しみをどう整理するのか 「つれあいを亡くした作家たちの鎮魂」本

 長年連れ添ったつれあいを亡くした気持ちをどう整理すればいいのか。誰もが抱えるそんな思いを、筆一本で生きてきた作家たちは文章にすることで折り合いをつけてきました。極私的なことがらなのに、読み手が思わず我が身に引き寄せて考えてしまう。そんな作家たちの鎮魂の記を集めてみました。

  1. 「そうか、もう君はいないのか」城山三郎(新潮文庫)
  2. 「悲しいだけ」藤枝静男(講談社文芸文庫)
  3. 「紅梅」津村節子(文春文庫)
  4. 「夫・車谷長吉」高橋順子(文芸春秋)
  5. 「妻と私」江藤淳(文春文庫)

(1)「そうか、もう君はいないのか」
 骨太な経済小説で知られる城山三郎が妻のことをつづった手記です。読んでいる方が恥ずかしくなるような、終戦直後の初々しい出会いから、結婚し、家庭を築き、仲むつまじく食事や旅行に出かける姿がスケッチ風につづられていきます。しかし、思いもよらぬ病の発覚から、あっという間の別れが訪れます。軽やかな筆致で描かれる妻の姿は実にチャーミング。それゆえに、タイトルがずしりと読み手の心に響きます。

(2)「悲しいだけ」
 静岡で眼科院を営みながら、通をうならせる小説を書き続けた藤枝静男のデビュー作は、結核療養所に入院した妻のもとに物資を届ける男の話でした。表題の短編は、そんな妻の最期を看取り、納骨するまでを私小説として描いています。結婚生活39年のうち、妻が健康だったのはわずか4年。常に間近にある死を意識して夫婦生活を送ってきた者ならではの、諦念と悔恨がひしひしと伝わる名品です。

(3)「紅梅」
 おしどり作家夫婦として知られた吉村昭・津村節子。その吉村の体に次々と癌細胞が見つかります。周囲に隠し続けながら闘病を続ける夫と、看病に専念したいと思いながら締め切りに追われる妻。「小説を書く女なんて、最低だ」と自分を責めながら、介護を続けた最期、奇跡のような美しい瞬間が現出します。小説の形をとりながら、秀逸な闘病ドキュメント。2人の文学観も垣間みえます。

(4)「夫・車谷長吉」
 無頼な小説家と24年間連れ添った詩人との出会いから別れまでが描かれた作品です。共に五十路前、何かに引きつけられるように結びついた2人の結婚にいたるまでの過程はまさに小説のよう。始まった家庭生活はどうみても壮絶なのですが、淡々とした筆致のせいか、どこかおかしみさえ感じます。しかし、その生活は突然、終わります。理由は生イカを丸呑みしたことによる窒息、と本書で明かされています。

(5)「妻と私」
 突然、医師から妻に下った診断は、「手の施しようのない癌」でした。夫は仕事もなげうち、つきっきりの看病に努めます。しかし、その夫の体もまた病魔に蝕まれていたのです。夫は戦後を代表する文芸評論家、江藤淳。明晰で知られた彼が看病するかたわら、「妻と私」について、「死」について問い続けた痛切な回想録。この本の単行本が刊行された2週間後、江藤は世間を驚かせた自死に至ります。