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大学生がススメる「長い長いシリーズ」本

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「三国志演義」(井波律子・訳、岩波文庫)

 三国志の名を一度も聞いたことが無いという人はいないだろう。むしろ、その名を聞いて、悪辣な奸雄としての曹操や、賢臣としての諸葛亮を思い浮かべる人の方が多いと思われる。最近はゲームや漫画、映画といった形でも広く認知されている三国志であるが、その背景には長い歴史があった。

 今からおよそ千八百年前の中国は、実際に三つの国に分裂していた。単に『三国志』と言えば、それはこの三国時代の歴史を記した書物を指す。その後、当時の人物や事跡に纏わる様々な民間伝承や逸話が生まれ、元代にはそれらを多分に含んだ『三国志平話』なる作品が登場した。その後、元末明初に入って、羅貫中なる人物が『三国志』や『三国志平話』などをもとに全百二十回(すなわち全百二十話)の『三国志演義』という小説を編纂した(素材や作者には諸説あり)。今日多くの人々が「三国志」と聞いて連想するものは、この小説作品であることが多い。

 その粗筋は以下の通りである。後漢時代末期、政治腐敗や農民反乱で世の中が混迷する中、王家の血筋を引く劉備が立ち上がり、関羽や張飛などの仲間と共に世を治めんとする。時を同じくして、漢王朝の臣下である曹操を始めとする諸侯も挙兵し、中国は群雄割拠の時代に突入する。抗争を繰り返すうちに、曹操(とその子・曹丕)率いる北の魏、孫権率いる南東の呉、そして劉備率いる南西の蜀漢の三国が鼎立する。劉備たちは呉との反発・連合を繰り返しながら、漢王朝を実質的に簒奪した魏と敵対し、各所で激しい攻防を繰り広げる。しかし健闘も空しく、劉備の子・劉禅の代に蜀漢は滅亡し、その直前にこれまた実質的に魏を簒奪した晋によって呉も併呑され、三国時代は終結する。

 その見所は枚挙に暇が無い。豪快かつ人間味に溢れた張飛の武勇と直言、かつて曹操から受けた恩に報いて敵である彼を見逃す関羽の義心、不敵さと大物さを感じさせる曹操の狡猾さと存在感、蜀漢と魏の軍師である諸葛亮と司馬懿の智謀の読み合い…。人間世界のあらゆる事象がこの一作に凝縮されていると言っても過言ではないだろう。

 そしてこれらの魅力を芯から堪能するには、やはり原文を読むのが最適である。確かに、仮に中国語が分からずとも、訓読という方法を用いて読むことは不可能ではない。とはいえ、そこには実に数百年前の中国語の話し言葉が含まれており、専門家ですら解釈に悩む箇所も散見されるため、原文ならではの味わいを訓読法で完全に理解することは相当に難しい。ましてや、高校以来漢文に触れていない人にとっては尚更手を付けづらいであろう。

 この葛藤を解決するものが訳本である。現在では種々の翻訳が出ているが、この井波氏の訳本は、そのような箇所も含め、全編を通して単に平明な日本語に訳されているだけではない。豊富な語彙を用い、細かな描写も正確に翻訳して本来の魅力が損なわれるのを極力抑えつつ、漢文や中国語における独特の思想や表現、故事などに対する簡明な注釈も施されている。そのため、三国志全般の愛好者はもとより、中国文学入門者でも抵抗無くその世界に没入することができるようになっている。それらに精通している人であれば尚更訳文と注釈の高い的確性に驚嘆するであろう。まさしく読む人を選ばない訳本と言える。

 個人的には、これを機に、少しでも中国文学に興味を持つ人が増えれば幸いである。=「週刊読書人」2018年5月19日掲載

「ビブリア古書堂の事件手帖 栞子さんと奇妙な客人たち」シリーズ(三上延、メディアワークス文庫)

 書評キャンパスのお話をいただいたときに真っ先に思い浮かんだのがこの本(書評の上では以下、『ビブリア』とする)だった。大学生にすすめるという目的で書評を書くのであるならば、私の蔵書の中では『ビブリア』が最も適当であると考えたからだ。若者の本離れは年を追うごとに加速し、市場は縮小を続けている。スマートフォンの普及がここ数年で飛躍的に増加し、今や電子媒体で活字を読む時代になってしまった。最近の若者は正しい日本語が使えていないという声を巷でよく聞く。私は若者の本離れが日本語能力の低下に一因していると考える。

 『ビブリア』は今年の冬に7巻をもって完結し、累計600万部を超えるベストセラーとなった。今回すすめるのはその第1巻である。内容については本の中の言葉を借りると端的でわかりやすい。
 「これは何冊かの古い本の話だ。古い本とそれをめぐる人間の話だ。」

 私が『ビブリア』と出会ったのは高校生のとき、あれからおおよそ5年が経過しているが、今も変わらず愛読書の1冊である。はじめてこの本を読了したときのことは今でもよく覚えている。現代ミステリばかり読んでいた私が『ビブリア』を読んだことではじめて自発的に近代文学を読みたいと強く感じた。夏目漱石『それから』、小山清『落穂拾い・聖アンデルセン』、太宰治『晩年』、『ビブリア』で使われた古書4冊のうち日本文学3冊である。『ビブリア』の読了後、この3点はすぐに目を通した。内容が気になって仕方なかったからだ。3点とも感慨深い作品で、これまでの生き方の視点が高くなった気がした。中でも太宰はこれをきっかけに大好きな作家になった。

 『ビブリア』は著者の古書店でのアルバイト経験が随所に生かされ、読んでいくと古書店の細部までイメージすることができる。他にも、「アンカット」のような、新書を読んでいるだけではあまりなじみのない用語も出てくるが、それもきちんと解説がされているため、古書を読んだことがない人や古書店にいったことがない人にも読みやすい1冊である。作品の舞台となっている鎌倉・大船周辺は三上氏が学生時代をすごしたよく知る場所ということもあって、世界観が忠実に再現されており、『ビブリア』を読んだのをきっかけにいわゆる聖地巡りとして、鎌倉・大船周辺を散策したのはきっと私だけではないだろう。巻末には参考文献が掲載されており、執筆する上での著者の苦労も感じることができる。

 漱石や太宰などに代表される近代文学は現代の若者にはあまり受け入れられない。今回の書評に『ビブリア』を選んだのは、『ビブリア』を読むことで近代文学を読むきっかけになってほしいと考えたからである。私自身も『ビブリア』をきっかけに近代文学を読むようになり、日本語の美しさや繊細さを知ることができたひとりである。スマートフォンなどで電子書籍でも読むことができるようになっているが、『ビブリア』は古書にまつわる物語である。この書評を読んで読みたいと感じた方は電子媒体ではなく紙媒体で読むことで感じられるページをめくる楽しさやドキドキ感を味わってほしい。=「週刊読書人」2017年8月28日掲載

「涼宮ハルヒの憂鬱」(谷川流、角川文庫)

 涼宮ハルヒシリーズの原作小説は今のところ11巻発売されている。このシリーズは学園モノであり、また、SF作品としての側面もある。涼宮ハルヒという傍若無人な女子生徒が、キョンというあだ名を持つ男子生徒を振り回し、キョンは呆れながらも「やれやれ」と言って、涼宮ハルヒの後ろをついてゆく。これが、キャラクター同士の基本の力関係である。ところで「やれやれ」という台詞は主人公キョンの口癖である。この「やれやれ」という言葉に村上春樹を想起する人は多いのではなかろうか。ネット上では村上春樹っぽい文体として「やれやれ僕は射精した」という言葉でいじられている。僕は村上春樹も好きでよく読むのだが、確かに「やれやれ」という言葉をよく見かける。僕はこの「やれやれ」という言葉が無性に好きだ。僕がハルヒシリーズの書評をしようと思ったのも、この「やれやれ」について語りたかったからである。

 「やれやれ」は、リズムが心地よい。僕は短歌を齧っているから、言葉のリズムの持つ力は理解しているつもりである。例えばアニメーション監督新海誠の作品群にもそれが見られる。『君の名は。』のヒットした要因は様々語られるが、その一つとして、登場人物たちの聞き心地の良い言葉の掛け合いが世に受けたのだと僕は思う。これも言葉のリズムの力だ。「やれやれ」は、その汎用性も高く、色々な意味合いで使える場面はたくさんある。

 そして「やれやれ」には別の力も備わっている。それは、緊張の緩和である。緊張の緩和とは笑いの起きる法則のようなもので、僕の記憶する限りこれを理論付けたのは桂枝雀だったと思う。簡単に説明してしまうと、何かしらの緊張状態が緩和されたとき、人は笑うというものだ。要するに涼宮ハルヒの突拍子のない発言や行動が緊張だとするとキョンの態度が緩和なのである。その象徴として「やれやれ」という感嘆詞が存在するのだ。これは長編小説の主人公のスタンスとして非常に重要だ。僕は大学で小説を書いていて思うことがある。それは、人に読ませる主人公のテンションである。どこか斜に構えていて、ダウナーで、一歩世の中から線を引いているような主人公は、読書という長い旅を共にする主人公の在り方として、非常に好ましいと思える 。キョンはハルヒシリーズ四作目の『涼宮ハルヒの消失』以降、この世界に積極的に関わってゆくという決意をして、ときおり熱血漢な場面を見せるが、やはり、涼宮ハルヒに翻弄されるキョンという基本的な構図は揺るがない。

 総括すると、涼宮ハルヒシリーズが魅力的に感じる一つの要因が「やれやれ」であり、また「やれやれ」はリズム・緊張の緩和・主人公のスタンスをうまく機能させる、ということである。悲しいかな、現実世界で「やれやれ」と連呼している人は非常に鬱陶しい。それでも僕はハルヒシリーズを読むと思わず言ってしまう。やれやれ。=「週刊読書人」2017年7月24日掲載

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