>新井さんがマンガ「HUNTER×HUNTER」の魅力を語る前編はこちら
テレビで世界陸上を見て、興味本位で始めたやり投げ
――やり投げを始めたのは高校に入ってからなんですよね。
なにか運動がしたいと思っていた時に、たまたまテレビで世界陸上のやり投げ決勝を見たんです。その時、優勝したのがフィンランドのテロ・ピトカマキ選手なんですけど、記録が90m超えで。「やりってこんなに飛ぶのか!」とびっくりして、それで自分もやってみたくなって陸上部に入りました。最初はほんとに興味本位でしたね。
実際に投げてみたら、ぜんぜんうまくいかなくて。ボールを投げることはあっても、細長いもの、ましてやりなんて投げる機会ないですよね。すごく難しいんです。でも、なかなかうまくいかないからこそ、投げたやりがきれいに飛んでいって地面にきれいに刺さるのが楽しくて夢中になりました。
――やりを持たせてもらいましたが、思いのほか軽くて、予想以上に長いことに驚きました。
規定では男子用のやりは800g以上、長さが2.6~2.7mです。やり投げは重いものを力で遠くに投げる競技ではありません。長さのあるものを遠くに飛ばすためには、いかにうまく投げるかが重要で、どちらかというと技術系の種目だと僕は思っています。
初速(やりを投げた瞬間のスピード)が同じでも投げた時のやりの角度によって飛距離は大きく変わりますし、やりに高速回転をかけるほど「ジャイロ効果」で地面に落ちるぎりぎりまでやりが伸びていきます。
投擲競技の中で唯一助走ができるのも特徴です。助走でスピードをつけて踏み切りして、てこの原理でやりを弾き出すんです。走力、投力、そして踏み切りの衝撃に耐えながらすべての力をやりに伝えるジャンプ力が必要です。
――やり投げを始めて、記録はすぐ伸びましたか?
高校時代は順調でした。自分としては思い切り走って投げていただけなんですけど(笑)、練習すればするほど記録が出るのが面白かったです。今も指導していただいている国士舘大学の岡田(雅次)監督が高2の新人戦を見に来られて、「本気でやるならうちに来い」と言ってくださったんです。やり投げを始めたばかりで無名だったのに驚きましたけど、やっぱりその言葉はうれしかった。次の年のインターハイと国体で結果を出せたことも後押しになって、岡田監督のもとで本気で競技を続けてみようと思いました。
――大学時代は、同学年のディーン元気選手が活躍していました。先ほど、岡田監督にお話を伺ったら、「ライバルの存在が成長につながった」とおっしゃっていました。
それは間違いなくあると思います。学生の頃はディーン選手に一度も勝てなかったんです。ずっと目標の存在でしたし、彼がいなかったら今の自分はないですね。勝てるようになったのは、社会人になってからです。
目的を明確にした努力で記録が伸びた
――社会人1年目の2014年は、初めて日本選手権で優勝してアジア大会でも銀メダル。飛躍の年でした。自己ベストの記録を見ても、この年にぐんと伸びています。なにか変化があったのでしょうか。
学生の頃は無我夢中で鍛えて力いっぱい投げている感じでしたが、社会人になって「技術を上げる」ことを意識して練習に取り組むようになりました。技術力を高めるには、基礎を磨くことが重要です。たとえば、指先でスナップをかけてやりに回転をつけて投げる「突き刺し」とか、基礎練習から大事に大事に取り組んで、一投一投、理想の投擲をイメージしながら投げ込みました。
これって(前編の)漫画『HUNTER×HUNTER』のときにお話しした、「なんとなく」ではない、目的を明確にした努力になるんだと思います。自分が必要とする技術を身につけるためにどんな練習をするのか、その技術を使ってどんな投擲をするのか。そういうことを、ひとつひとつ意識して練習に臨む事で、どんどんいい方向にむかっていった気がします。
社会人になって最初の試合だった織田記念陸上で80mを超える距離を連続で投げて優勝したのも大きかったですね。これで勢いがついて、そのあとの日本選手権、アジア大会、翌年の世界陸上、2016年のリオオリンピックと、いい流れでいくことができました。
――初出場のリオオリンピックはどうでしたか?
感覚としては、ほかの試合と変わらなかったかな。とてもいいコンディションで大会に入り、予選の1投目で84m16を出して全体の2位で決勝に進みました。でも決勝では全然ダメで、結局入賞もできずに終わってしまった。
予選と決勝の間が2日間あって、そこで大きくずれてしまったんです。リラックスして予選の状態のままいけばよかったのに、「もっと良く」しようとして、自分が思い描く動きができなくなってしまって。世界のトップ選手と比べて、パワーも技術も精神力も調整力も、全部が足りないと痛感しました。
尊敬する「ネテロ会長」を見習って修行あるのみ
――リオオリンピックが終わってから、新しく取り組んだことはありますか。
足りない部分を補うために、いろいろ変えていかなければと思いました。ほとんどのやり投げ選手は、やりを持った腕を後ろに引いて体をひねり、遠心力と助走の加速を合わせて投げるんですが、自分はその捻転が苦手なので、背負い投げするような形で縦回転にして投げるスタイルなんです。
でもリオの後、横のひねりを加えればもっとうまくやりに力が伝わるんじゃないかと思って、ひねりの練習をしていたときに首を傷めてしまって。それが2017年の2月。休養するほどの大きなけがではないけど満足に練習ができなくなり、筋力もモチベーションも下がりました。そのなかでも大会には出場していたので、なかなか結果が出せずしんどい時期でした。
今年に入って痛みがなくなってきて、最近ようやく以前の練習量がこなせるようになりました。けがをしたことで、自分に合った技術を追い求めることの大切さに気付けたし、「勝利への欲」は練習を重ねることでしか得られないこともわかったので、そういうところではプラスになったと思います。
――けがを抱えながら日本選手権の連続優勝を「5」まで伸ばしたのは、すごいことですよね。けがを克服して臨む来シーズンに、さらに期待ができます。
昨年と今年は練習を積めていなかったので「運よく勝てた」という感じですね。連覇に関しては、自分はまだまだ。村上(幸史)さんは12連覇、ハンマー投げの室伏(広治)さんなんて20連覇だし、現役ではチームメイトの川元(奨)選手は800mで6連覇中です。自分も追いついて追い越せるように、頑張りたいです。
やっぱり2年後の東京オリンピックが最大の目標にはなりますが、まずは来年の世界陸上ですね。そこで結果を残さないとオリンピックにも出場できませんから。
――新井さんの自己ベストが86m83です。やり投げを始めるきっかけになったテロ・ピトカマキ選手の世界陸上大阪大会の記録が90m33、リオオリンピックの金メダリストは90m30でした。あと4m、この差はやり投げでは大きいですか?
もちろん簡単ではないですけど、4mならそのときの投げ方や風の影響によって1投で変わることもある差です。90mは十分狙える記録だし、あと2年間で間違いなく投げられるようにしないといけない。できれば来年、自己ベストを更新してオリンピックにつなげるのが理想です。
走力、投力、ジャンプ力。すべてにおいてレベルを上げて、技術と精神力を安定させたうえで、世界の舞台でもう一度勝負したいです。総合力を上げるのはとても難しいけど、それこそ『HUNTER×HUNTER』と同じで、修業あるのみだと思っています。尊敬するネテロ会長を見習って(笑)、ストイックにやっていくしかないですね。