“普通”ではないことを受け入れられない親子の苦しみ
映画「いろとりどりの親子」の原題は、原作と同じ「FAR FROM THE TREE」。“The apple doesn’t fall far from tree”(りんごは木から遠いところへは落ちない)、「子どもは親に似るものである」ということわざに由来するこのタイトルは、「木から遠く離れたところに落ちてしまったりんご」――親とは異なる性質を持つ子どもたちを意味する。
原作者のアンドリュー・ソロモンさんは、息子がゲイであることを長年受け入れられなかった両親との関係に苦しみ、「“普通”とは違う子どもを持った親は、どうやってその事実に向き合うのか」という疑問を抱くようになる。聴覚障害、低身長症、ダウン症、自閉症、統合失調症、天才児、レイプで生まれた子ども、犯罪を犯した子ども、トランスジェンダー……様々な個性や困難を抱える子どもたちとその親に取材し、苦闘しつつも家族として成長していくプロセスを丹念にまとめた900ページにも渡るノンフィクションはベストセラーとなり、多くの人々の関心と共感を呼んだ。
原作を読んですぐに映画化を決意
本作を映画化したレイチェル・ドレッツィン監督も原作に深い感銘を受けた一人だ。「初めて読んだときは完全に圧倒されました。10年間もかけてリサーチしたという原作の情報量はもちろん、この本が様々な親子の“愛”で満ち溢れていることに圧倒されたんです。読後はまったく知らなかった世界へ旅したかのような気持ちでした」と、当時の印象を振り返る。「著者のアンドリューが紡ぐ言葉は文学的で密度が濃く、苦しみや痛み、それを経て生まれる家族の愛が見事に表現されていました。読み終えてすぐに『これは絶対に映画化しなきゃ!今すぐ!』と、いてもたってもいられなくなったことを覚えています」
自身も3人の子どもの母親であるドレッツィン監督だが、原作には「母親としての共感よりも、一人の人間として心を動かされた部分が大きかった」と語る。「親の愛を超えた普遍的な愛を見たような気すらして。それは苦しみや痛みを経験し、乗り越えてこそ得ることができるもの。読書を通して、そうした“秘密の愛”を、本の中の家族たちと分かち合ったような気分になりました」
6組の親子の「ありのまま」の愛と葛藤の記録
映画ではダウン症のジェイソンと母、自閉症のジャックと父母、低身長症のロイーニと母、殺人を犯したトレヴァーの家族、低身長症の夫婦リアとジョセフ、そして著者であるアンドリューとその父という6組の家族が登場。彼らが日々の生活を送る中での困難や喜び、親子の葛藤もありのままに記録されている。
「ドキュメンタリーを撮る上で必要なのは、機が熟すのをじっと待つ忍耐力。今回は幸運なことに締め切りがなかったので、何カ月もかけてご家族との信頼関係を深めていくことができました。撮影クルーは私とカメラマン、もう一人のスタッフの3人と最小限に絞り、照明も必要なとき以外は使わず、自然光で撮っています。時間をかけて撮影していくうち、最初は緊張してカメラを意識していた出演者たちも、最後にはカメラがあることすら忘れてしまうくらいになって。それだけ、親密な“画”を切り取ることができたと自負しています」
ジェイソン親子以外の5組の出演者はすべて監督自らが探し出し、出演を交渉した。特に「殺人」という重い罪を犯したトレヴァーの家族であるリース家が、取材を了承してからカメラの前で話してくれるまでには長い時間が必要だったという。「リース家の取材は、こちらから決してプレッシャーをかけることなく、彼らが決断するのをただ“待つ”というのが肝心でした。撮影が始まっても、5〜6回取材を重ねるまで、本心を語ってくださるのは難しかったですね」
“違い”を受容することで成長していく
それぞれの個性を持つ出演者たちが皆チャーミングなことも本作の魅力の一つ。幼少期に「セサミストリート」に出演していたダウン症のジェイソンは、原作にも登場する唯一の出演者だ。彼が愛を注いでいるのはディズニー映画「アナと雪の女王」のキャラクター、エルサ女王。エルサも「普通でない」力を持つことから、親に閉じ込められ、魔法の力を制御できず暴走するが、最後には自分のパワーを個性として受容できるようになる。
「実は『ジェイソンがエルサに恋している』という話を母親であるエミリーに聞いたとき、何かすごくピンと来るものがあって、ぜひ彼に出演してもらいたいと思ったんです。エルサは、“普通” と異なる人たちにとって、とてもシンボリックなヒロイン。ジェイソンやジャックのような障害を持つ人たちと触れ合っているとき、ときに違った次元でものごとを読み解いているようなマジカルな印象を受けることがあります。44歳になったジェイソンがエルサ女王に共感し、彼女のことを大好きだと告白するところは私自身もとても好きなシーンです」
重いテーマも内包する本作だが、家族が“違い”を受け入れられるようになるにつれ、子どもたちが自分を肯定し自立できるようになっていく喜びも丁寧に描かれている。同時に、彼らが必要としているのは家族の受容だけでなく、「仲間」や「友人」の存在であることも。「家族という閉じたサークルの中だけでは、親も子も行き詰まってしまう。友情やコミュニティの存在はどんな人の人生にも必要不可欠だと思います」