70余年をかけて完結した『大漢和辞典』
漢字文化は東アジア一帯に広がり、3000年以上の歴史を持つとされる。それに比べてヒトの一生は短く、日常的に使う漢字も限られる。平均的な日本人が生涯の間に読み書きする漢字の数は、2千字余りの常用漢字を含めて3千から5千程度もあれば十分なはずだ。だが、未来は常に先人が残してきた遺産の上に築かれてきた。広く深い漢字の海へと乗り出す手段である辞書がもし存在しなかったら、大きな損失といえるだろう。
「親字」となる見出しの漢字は5万1110字、熟語は53万語以上。索引も含めた全15巻は計1万8000ページに及ぶ。通常の漢和辞典は親字が1万字程度、多いものでも2万字余りなので、『大漢和辞典』のスケールの大きさは群を抜いている。「東アジアにおいても、最大級の漢字のリファレンスと認識されています」と大修館書店販売部の山口隆志さんは語る。中国政府も、1984年に刊行が始まった修訂版を500セット購入している。
「諸橋大漢和」の物語は約90年前、関東大震災からの復興が進む東京で始まった。大修館書店の創業者である鈴木一平(1887-1971)は、諸橋轍次のもとに何度も足を運んでいた。後世まで残るような漢和辞典をつくってほしいという鈴木の依頼に対し、多忙を極めていた諸橋はすぐに首を縦に振らなかった。だが、かねてから完成度の高い大辞典の必要性を痛感していた諸橋は、鈴木の熱意にこたえて申し出を受けた。
編さん作業は1927年から始まり、当初の計画を超える大規模なものとなった。諸橋と教え子たちは、膨大な資料から漢字と熟語を収集してカードに整理し、清書した原稿用紙は約6万枚になった。戦時統制下で発行が危ぶまれたが、1万部分の紙の使用が許されて1943年、第1巻の刊行にこぎつけた。「表紙用の皮革類は最も統制が厳重で、・・・玉繭を原料とした背革の代替品を考案しこれを使用した」と鈴木は出版後記で述べている。
1945年2月、B-29爆撃機はあらゆるものを焼き払った。空襲で大修館書店の社屋や印刷工場が被災し、約1万5千ページの活字組版は、100トンもの鉛の塊になった。しかし諸橋は、自らのもとにあった3部の校正刷を山梨県などに疎開させるなどして、再起の時を待っていた。
戦後、残された校正刷をもとに、復刊に向けての作業が始まった。焼けた鉛活字の代わりに写真植字を採用し、1955年から60年にかけて全13巻を刊行。35年の歳月と延べ25万8000人の労力を費やして完成した『大漢和辞典』は、その後も修訂が続けられた。増補版の編集を諸橋から託された鎌田正(1911-2008)、米山寅太郎(1914-2007)らの尽力で、2000年に「補巻」(第15巻)の刊行を終え、ここに「大漢和」は完結した。
吉川英治は「『大漢和辞典』刊行の成果はそのまま、日本文化のバックボーンになるものといってよい」、井上靖は「一冊を書架から抜き出し、どこでもいいから開く。……世の中に、これほど贅沢な時間の過し方はないだろうと思う」と賛辞を述べている。中国文学や東洋史の研究者にとって、現在も『大漢和辞典』は不可欠な基本図書だ。「東洋文化の一大宝庫」と例えられ、昭和から平成にかけての日本の漢字学の到達点の一つを示す書籍であるともいえる。
発想の転換によって実現したデジタル版
『大漢和辞典』の完結とともに20世紀は終わり、多くの辞書がデジタル機器で使えるようになっていった。「大漢和はデジタル化しないのか」との要望が次々と寄せられた。一方で、京都大学名誉教授の阿辻哲次氏によると「『でも大漢和だけは無理だろうなぁ』という、あきらめに近い声が随所から起こっていた」という(「大漢和辞典デジタル版 推薦のことば」より)。
時計の針は液晶画面に変わり、再び時間が動き出したのは2015年の夏。大修館書店の創業100周年を控え、デジタル版をつくろうという声が上がった。「なかなか難しいとはいっても、いつまでも先延ばしにしているわけにいかない。大漢和とともに歩んできた当社の100周年を目標に置くことで、進むことができました」と、同社取締役販売部長の伊藤進司さんは振り返る。
デジタルリテラシーが高いユーザーには、どのような仕様が受け入れられるのか。何度もヒアリングを行い、編集部門と販売部門が集まって検討を重ねた。漢和辞典の電子辞書やアプリは世に出ているが、規模がはるかに大きい「諸橋大漢和」では、その仕組みを適用する方法は諦めざるをえなかった。
多くの漢字が、パソコンなどで表示できない。これが最大の難関だった。もちろん画像での表示は可能だが、今の時代はテキストで表示する場合にはコピー・ペーストできることが求められる。開発費をかけてフォント(書体)も組み入れれば、個人でプリントしたりして利用できるが、フォントを持たない他人の機器に情報を伝えるのは難しい。肝心の「親字」が“文字化け”してしまうようでは、本来の漢和辞典の役割からかけ離れてしまう。
そもそも、コンピューター用の文字コードを規格化する際に、漢字の同定や並び順を決めるための参考資料となったのが『大漢和辞典』だった。策定された文字コードの拡張が進むとともに、WindowsなどのOSで表示できる漢字の数は増えたが、約5万字の中には特別なフォントを使わなければ表示できないものも多い。誰もが情報をやりとりできるようなデジタル版をつくろうと思うと、コストや時間などの困難が伴うことがわかっていた。
「発想の転換が必要でした」と同社編集第一部の池田菜穂子さんは語る。流行りのクラウドではなく、辞書のデータをパッケージ化してパソコン本体へとインストールする仕様。オンラインとは逆の発想での、デジタル版の開発を決断した。ノートPCに入れておけば、総重量約40キロ分の『大漢和辞典』を持ち歩くことができ、ネットに接続しなくてもどこでも調べられるという、個々のユーザーにとっての使い勝手の良さを重視した。
仕様が決まり、全文テキスト化を断念する代わりに、基本機能は検索とページビューアの二つに絞られた。主な作業は検索用のデータベースの作成と校正。「カードを1枚1枚手書きで作成していた時代に比べると、今はそれがエクセルでできてしまう時代」と同社の山口さんは話す。「初代の鈴木一平社長は、自分の代ではこの辞典は完結しないという覚悟を持って、息子たちに後を託すために大学を辞めさせたりしたそうです。諸橋轍次先生と鈴木社長が、男と男の約束で『とにかく完成させるんだ』と、昭和的なスケールの大きい仕事をしていたのは確か。デジタル版で感動的なエピソードはないですけれど、地道に粛々と取り組んできました」。
デジタル版には、紙の『大漢和辞典』にない情報も含まれている。親字の検索結果で、部首や読みや画数などのほか、OSで使われている文字コードであるUnicode(ユニコード)の番号が記載されている。さらに、部首以外のパーツから漢字を検索する「部品検索」がプラスされた。これは独立行政法人の情報処理推進機構(IPA)が作成した部品データをベースにしている。ユニコードや部品のデータを監修したのは、漢字情報処理の分野の第一線で活躍する上地宏一氏(大東文化大学)だ。
検索機能を充実させ、さまざまな楽しみ方も
デジタル版のポイントは「『調べる』『引く』を、いかに手軽に早くできるか」と、山口さんは説明する。紙の「大漢和」は、あまりの規模の大きさに、使うのをためらってしまう人もいたことだろう。まるまる一冊を費やしていた13巻の「索引」が検索機能として集約されたことを考えれば、本を運んで紙をめくる手間が減ったのは大きい。部首検索、画数検索、読み検索、さらに部品の検索が加わり、それらを組み合わせて検索できるのも、デジタル版ならでは。
「お気に入り」や「付箋(ふせん)」の機能も追加された。「付箋は、自分が調べたページを記録して、そこにメモを付け加えられる機能になります。これは研究者の先生にヒアリングした際に『あれば便利だと思う』という提案をいただいたのを反映しています」と池田さんは語る。
紙の辞典を読む感じでページビューアをパラパラとめくったり、検索結果の漢字を一覧にして表示するなど、クリエーティブを刺激するような楽しみ方もできる。山口さんは「奥深い大漢和の中でも、これまで注目されていなかった漢字や熟語が思わぬ形で注目されたり、新たな観点から話題が生まれるのでは」と期待している。
書籍版の約半額とはいえ、それなりの価格の『大漢和辞典デジタル版』。買うのは専門家や研究機関が中心かと思いきや、一般の人でも店頭の体験会で操作を理解して購入に至るケースもあるそうだ。伊藤さんは「当初はあまり想定していませんでしたが、使いやすさや文字が拡大できることを説明すると、予約してくださる方もおられました」と話している。
そして、紙の時代からの安定した購買層が、寺社だという。戒名の選定、祝詞(のりと)の作成といった目的で、古い漢字の意味や用例などが記された「大漢和」が役立てられているのだ。戒名に使われる漢字は、現代ではなじみのない字かもしれないし、未来には使われなくなる字かもしれない。だが、その人がこの世にいたことを意味づける証として、漢字はこれからも生き続ける。