物語の終わりに新たな扉が開く
長年、子どもの本に貢献してきた作家に贈られる「国際アンデルセン賞・作家賞」を受賞した角野栄子さん(83)の記念講演会が6日、東京・築地の浜離宮朝日ホールであった。国や世代を超えて読者を魅了する角野作品はどのように生まれたのか。海外生活など自身のユニークな半生を振り返りつつ、ユーモアを交えて語った。
200冊超の本を生み出してきたエンジンは、あふれんばかりの好奇心や想像力だ。
20歳代半ば頃に、移民としてブラジルに渡航。外貨を持つことも難しく、渡航のハードルは高い時代だったが、「ここではないどこかへ行ってみたい」と船に乗り込んだ。
2カ月の船旅では360度広がる水平線に「あそこから何が出てくるんだろう」と心が躍った。「水平線は見えない世界を隠している。向こう側が見えないから楽しい。見えない世界があってはじめて見える世界が豊かになる」
それは読書も同じという。「本を読んでいると何ページかごとに水平線が現れる」。テキストの向こう側の未知の世界。「(想像することが)人間にすごい力を与えてくれる」。それは「生きる力」にもつながる、という。
作品を彩るオノマトペ(擬音語・擬態語)への愛着も語った。きっかけはブラジルで出会ったルイジンニョ少年。サンバ歌手の息子で、言葉が分からない角野さんを街に連れ出し、果物や調味料などを手に取りながら、言葉を教えてくれた。踊るように歌うように教わった言葉はオノマトペのように、街の風景と共にいつまでも心に刻まれた。
それは幼い頃、父がひざの中で昔話「桃太郎」を話してくれながら「どんぶらこっこーう、すっこっこーう」と口にしたおかしなオノマトペに通ずるものだった。「言葉が形に見えてくる。心の機微が音や表情になる。言葉って面白いなと思ったんです」
作品の主題は何かと聞かれることもあるが、「ありません」と答えてきた。
「あと1カ月で84歳。テーマがないわけがない。言いたいことはいっぱいある」。でも、「私が道しるべみたいに書いたらその通りに読まなくちゃいけない、みたいな気持ちになってしまうかもしれない」。何かを押しつけたくないという。「私は自分が思った通りに読んでもらわなくて結構なんです。楽しんでもらえれば、面白いねって思ってもらえればいい」
来場者には、自分が本当に好きな本だけ30冊ほど並べる小さな本棚を持っては、と呼びかけた。孫がいるなら、ランドセルの代わりにそんな本棚を贈ってあげて、と提案した。「その本棚は『その人』になっていく。人の面白さがおのずと現れてくる。それが人間性なんじゃないか」
会場から「角野さんにとっての30冊は?」と問われると、ジュースキントの「ゾマーさんのこと」、モームの「人間の絆」、トーマの「悪童物語」、カポーティの「おじいさんの思い出」、ディケンズの「二都物語」などを挙げた。「意外と、王道を行く本よりも、ちょっとマニアックな本かも」と話した。
最後に、自著「魔女からの手紙」(ポプラ社)の「おわりのばあさん」のせりふを朗読した。
「目に涙をあんなにためて、いったいなにがあったのさ。この世のおわりって顔してたよ。この扉はね、おわりからあくんだよ。あんたはなにもかもなくしたっておもってるだろうけど、あんたの失ったものは、せいぜい半分かそこら。もう一度おいでな。(略)逃げちゃそこでおわりさね。はいっておいでよ」
物語は読み終わった瞬間から読んだ人の物語となり、新たな扉がまた開く――。そんな思いをこめたせりふだ。
実は自身の時間が「もうそんなにない」と思い、数年前から身辺整理をしていた。どうしても気分が落ち込んでいった。受賞の知らせが飛び込んできたのはそんな時だった。「私の『終わりの扉』もまた開き、時間をもう少しのばしてもらえるんじゃないかしら」。そう言って笑った。(中村靖三郎)=朝日新聞2018年12月29日掲載