――白井さんのデビュー作は2014年の『人間の顔は食べづらい』。食用クローン人間が実用化された社会、というショッキングな設定は「横溝正史ミステリ大賞史上最大の問題作」として話題を呼びました。デビューまでの経緯をあらためて教えてください。
もともとミステリを読むのが好きで、大学在学中に自分でも書くようになりました。当時は普通の大学生が登場する一般的な青春ミステリを書いたりしていました。新人賞への応募をくり返していましたが、どうにも思わしい結果が出ない。自分でもあまり楽しいと思えなくなってきたので、もともと好きだったホラーの世界と、本格ミステリの謎解きを組み合わせてみることにしたんです。それが『人間の顔は食べづらい』でした。ありがたいことに横溝賞の最終候補に残していただき、デビューを果たすことができました。
横溝にはまり、三津田信三「刀城言耶」シリーズへ
――大賞こそ逃したものの、選考委員だった有栖川有栖さんと道尾秀介さんのプッシュによって単行本化、というのは有名な話ですよね。ミステリはいつ頃からお読みですか。
熱心に読むようになったのは中学時代です。横溝正史にはまって、中学から高校にかけてたくさん読みました。一番好きなのは『悪魔の手毬唄』。冒頭のエピソードが最高です。大学ではミステリ研に所属して、それまで未読だった海外の古典や、国内の本格ミステリを読み漁りました。ちょうど在学中に三津田信三先生の「刀城言耶」シリーズが相次いで刊行され、すごいものをリアルタイムで読んでいるぞ、と感じたのを覚えています。
――三津田信三さんといえば、ミステリとホラーの融合で知られる作家。白井さんが愛読されたのは納得です。ではホラー方面の興味は?
今日聞かれるだろうと思って考えてきたんですが……(笑)、子どもの頃は家庭の方針でテレビやゲームにほとんど触れられなかったんですよ。だから同世代の人たちのように、『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメにはまった、というような経験が欠けているんです。本格的にホラー漫画や映画に触れたのは、大学に入学してからですね。ただ高校時代は角川ホラー文庫をよく読んでいました。特に好きだったのは、飴村行先生の「粘膜」シリーズ。高3の秋に『粘膜人間』が刊行されて、こんなに愉快な小説があったのか、と衝撃を受けました。
現実の暴力は見るのも聞くのも嫌
――第2長編『東京結合人間』では奇怪な生殖行為によって、腕と足がそれぞれ4本ずつある「結合人間」が生まれ、第3長編『おやすみ人面瘡』では、皮膚に人面が浮き出す奇病が描かれます。あまりのグロテスクさに思わず笑ってしまう、そんな特殊設定はデビュー作以来、白井ミステリの特徴ですね。
気持ち悪いとはよく言われますが、ホラーのように恐怖を狙って書いているわけではありません。ミステリとしての「仕掛け」を最大限に生かす手法として、特殊設定を用いているという感覚ですね。ミステリというジャンルには多くの先行作があって、すでに多くのアイデアが試みられています。特殊設定は、自分なりに新しさを模索した結果の1つです。『人間の顔は食べづらい』を評価していただいたので、味を占めて今日まで書き続けている、とも言えますね。
――確かにどの作品でも、謎解きと特殊設定が不可分の関係にありますね。それにしても異形やグロテスクへの偏愛は、並のホラー作家以上だと思うのですが……。
もちろん単純に書いていて楽しい、という面もあります。ただし僕自身は怖がりで、現実には血を見るのも苦手です。『少女を殺す100の方法』のような作品を書いているので誤解されがちですが、現実の暴力は見るのも聞くのも嫌です。
――12月に刊行された新刊『お前の彼女は二階で茹で死に』は、全4話からなる連作ミステリ集です。ミミズそっくりの姿に生まれついた青年ノエルの性犯罪と、悪徳刑事ヒコボシの復讐譚が各エピソード内でクロスしてゆく、という凝った構成ですが、それにしても今回はなぜ「ミミズ」なのでしょう?
ネタバレになるので詳しく説明できないのですが、先に浮かんでいたミステリのアイデアと相性がよかったからです。いつも設定やキャラクターは後付けで決まっていくので、今回もミミズの部分が決まったのは最終段階でした。
新しい「多重解決もの」に挑んだ
――高級住宅地ミズミズ台での殺人を描いた「ミミズ人間はタンクで共食い」、肛門にボールを入れる珍妙な宗教が登場する毒殺もの「アブラ人間は樹海で生け捕り」、雪の温泉宿での密室殺人を描いた「トカゲ人間は旅館で首無し」など、収録作はバラエティに富んでいます。
今作は4作がすべて「多重解決もの」、つまりひとつの事件に対して複数の真相が提示されるミステリになっています。ストレートな謎解きではない分、事件そのものは王道パターンを踏襲してみました。こだわったのは多重解決の分岐点となる、ノエルのある犯罪行為です。多重解決もののミステリには優れた先例がいくつもありますが、この方法で分岐させた作品はないと思います。
――4つの難事件を解決してゆくのが、豆々(ずず)署に勤務するヒコボシ刑事。彼もまた現在進行形である罪に手を染めている、最低最悪の刑事です。白井さんの作品には、道徳的に破綻したキャラクターが多く出てきますが。
変わった設定を考えると、ストーリーも普通でないものになりがちです。そこに等身大のキャラクターを登場させても、浮いてしまって噛み合わないんです。ノエルやヒコボシくらい壊れた人間のほうが、この物語の中にいても違和感がない。あとは書き手の感覚として、常識人ばかり書いていると「これで本当に面白いのかな?」と不安になるという理由もあります。
――刑事の名前がヒコボシにオリヒメ、現場となる村が辺戸辺戸(べとべと)村に尻子(しりこ)村。どこまで本気か分からない、黒いユーモアの漂うネーミングセンスも絶妙ですね。
固有名詞をつけるのが得意ではないんです。キャラクターの名字も「田中」や「斉藤」だと、正解が分からずに悩み続けてしまう。その点、パロディや言葉遊びを含んだ名前ならすんなり決められます。また物語の非現実感を、分かりやすく読者に伝えられるというメリットもあります。ミステリと一口にいっても、リアリティの匙加減は作品によってさまざま。オリヒメ、ヒコボシといった妙な名前を出すことで、現実世界に即してはいない作品ですよ、と宣言しているような感覚です。
現実社会は怖いものだらけ
――おぞましい特殊設定や下ネタ、過激なバイオレンスについ目を奪われがちですが、本格ミステリとしてはごく正統派。巨匠エラリー・クイーンを彷彿させる、厳密な論理性に貫かれています。そのギャップが非常に面白いです。
ありがとうございます。「ミミズ人間はタンクで共食い」で、ある手がかりから殺害時の状況を推測していくロジックは、自分でもうまく書けたかなと思っています。下ネタについては、ミステリの効果として「こんなものが重要な手がかりになるのか」というミスマッチを狙っているところもあります。もっともらしい小道具よりも、誰も扱わないようなものが推理の糸口になる方が面白いですから。
――『お前の彼女は二階で茹で死に』という秀逸なタイトルはどこから?
収録作4編をすべて書き終えてから、担当さんと話し合って決めました。ジャック・ケルアックとウィリアム・バロウズの共著に『そしてカバたちはタンクで茹で死に』という本があって、もじったらいい感じになりそうだなと。僕は『ミミズ人間は便所で茹で死に』にしたかったんですが、担当さんが「そんな本は絶対買いたくない」というので変更しました。自分一人だとついやり過ぎてしまうので、担当さんの冷静なジャッジにはいつも助けられています。
フィクションならいくら血が飛び散っても平気
――個人的には不道徳の極みともいえる「ミミズ人間はタンクで共食い」と、奇怪なサーカス団が出てくる最終話「水腫れの猿は皆殺し」に心惹かれました。山田風太郎の奇想ミステリや、平山夢明の犯罪小説が好きな人にもぜひお薦めしたい一冊です。ところで、白井さんがこの世でいちばん怖いものは何ですか?
怖がりなので世の中に怖いものはたくさんあります。特に苦手なのは、現実社会の悲惨なニュースですね。ブラック企業で過労死させられたとか、パワハラに遭って自殺したとか、そういうニュースを見ると辛くなります。今自分がそういう目に遭っていないのは、たまたま運がいいだけ。環境が変われば、被害者になってしまうかもしれない。そう考えると怖くなります。同じような理由で、ヤンキーのような暴力的な人たちも怖いです。
――そんな白井さんが、ここまで過激な作風を貫いているのが面白いですね。
小説は作り物ですから。フィクションの世界ならいくら血が飛び散っても平気です。一方で、園子温監督の『冷たい熱帯魚』のように、現実にも起きているような事件を描いた作品はフィクションでも怖いですね。小説でいうと平山夢明さんの「おばけの子」という短編。少女が虐待死させられてしまう話ですが、身につまされてかなり落ちこみました。
――では最後に、白井さんが小説を書き続けている最大のモチベーションは何でしょう?
楽しいからです。ミステリを書き上げるのは大変ですし、アイデアが出ないときは苦しいですが、それでもお話を作ったり書いたりするのは楽しいです。これからも面白いミステリを書いていきたいですね。ここ二冊短編集が続いたので、次回作はずっしりした長編に挑みたいです。