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ミステリーの司法取引 非情な駆け引き人間関係壊す

司法取引がからむカルロス・ゴーン前会長の逮捕について会見する日産自動車の西川広人社長=2018年11月、横浜市西区

 日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の逮捕では、司法取引制度の導入が注目を浴びている。刑事訴訟法の一部が改正されて実施されたものだが、海外ミステリーにふれている者には意外な感がある。普通に行われているからである。しかも興味深いのは、米英での司法取引は「自分の犯罪」を認める代わりに不起訴や減刑を求めるものだが、日本は主に経済関係や銃器・薬物における「他人の犯罪」の情報を流すかわりに自分の刑罰を軽くしてもらう取引である。

訴訟社会で多用

 まだまだ日本人作家には扱いにくいテーマだが、米国在住の長野慶太は、第4回日経小説大賞受賞『KAMIKAKUSHI 神隠し』で司法取引に言及している。メインはロサンゼルス空港で起きた子供消失をめぐるミステリーだが、事件を追及する記者のグレッグと再婚した日本人の妻郁恵は、司法取引制度に反対する集会で出会った。グレッグは元妻との口論を家庭内暴力と認定されて逮捕。唯一執行猶予が得られるというので、司法取引に応じて犯してもいない罪を認めてしまった。一方、郁恵は再婚前に我が子を誘拐され殺された。主犯は逮捕され死刑になったものの、先に捕まった共犯者は司法取引し主犯の逮捕に協力したことで、何と5年の懲役で刑務所を出た。
 本書では司法取引が生まれたのは「犯人が罪を認めればその後の裁判費用や検察の労力がずっと軽減」され「経済的合理性がある」からだと説明する。「犯罪ルートを暴露したり、共犯者の居場所や罪状を密告したり」で、手間をかけないで多くの者を起訴して有罪に出来る。しかしいまアメリカでは「訴訟社会が高じ、司法取引でどんどん機械的に次から次へと罪を処理していくシステム」に疑問を抱く人が増えているという。

万全な証人保護

 そんな司法取引の内情を知る最適な小説が『司法取引』だろう。迷宮入りになりそうだった連邦判事とその愛人の殺害事件について、収監中の元弁護士が真犯人を知っていると訴え、FBIに対し、情報と引き換えに即時釈放と証人保護プログラムを要求する。そこから凄(すさ)まじい駆け引きが始まる。
 議会や法廷で証言することで敵側からのお礼参りを阻止する証人保護プログラムは、証人に全く新しい身分と住所を与えるもので、海外のテレビドラマや映画などでもおなじみだろう。本作ではFBI捜査官が「証人保護プログラムを適用した情報提供者で殺された者はひとりもいない。その数は八千人以上で、いまも増え続けている」というから驚く。
 グリシャムは司法取引の仕組みと駆け引きをゲームのように仕立てているが(コンゲーム的な展開は意外性に溢〈あふ〉れて愉〈たの〉しい)、切実な人生に絡めて見せるのが『ダ・フォース』だ。麻薬と銃による犯罪を取り締まる特捜部のリーダーのデニー・マローン部長刑事は街のヒーローだが、彼が拘置所に収監される場面から始まり、長年特捜部が関わる犯罪が明らかになる。
 自分の罪を軽くしてもらうには長年の部下たちを裏切るしかない。でも部下とはみな家族ぐるみの付き合い。深く悩むのだが、司法側は汚い手を使ってマローンを追いつめていく。詳細は省くけれど、司法取引を選ぶことの厳しくも悲惨な現実、つまりいくつもの幸福な家庭を奪い、人間関係を根底から破壊することを切々と訴えている。
 日本はまだ米国のような訴訟社会にはなっていないが、犯罪の増加と多様化が進めば司法取引の幅が拡大することは十分に考えられる。果たして証人保護プログラムまで登場するかどうかはわからないが、日本に置き換えて読むのも一興だろう。=朝日新聞2019年2月9日掲載