「これは」という句まだ・詩は向こうからくる・句作は月に1日
俳句は決して高齢者の文芸というわけではないが、年を重ね心身の衰えが出てきてもなお続けることができる。老境を迎えた3人の俳人が「八十代の可能性」をテーマに論じ合うイベントが1日、東京都内であった。
集まったのは「岳」主宰の宮坂静生さん(81)、詩人・歌人でもある高橋睦郎さん(81)、編集者で文芸評論家としても知られる齋藤愼爾さん(79)。
長野県在住の宮坂さんは、地域の土俗的な季節感に基づく「地貌(ちぼう)季語」を提唱してきた。「山本健吉的な雪月花の世界を縄文的な見方で撃つことができれば、と思ってきた」。「これは」という句はまだ一度も作れていないというが、「それは、これからできる可能性もあるということ。自分自身の中に本当に詩を必要とするものがあったのか、もう一度反芻(はんすう)している」と語った。
高橋さんは少年時代から体が弱く、結核や肝炎で長期の療養生活も送った。現在は、独自のストレッチ体操や玄米食などで身体に気を使っているという。
「詩は探すものではなく、常に向こうからやってくるもの。何を書こうかと考えたことはない」というが、いつか必ずやってくる「死」については、「怖いというより、つらい。生きていることはあまりに甘美で、それと別れることがつらい」。
齋藤さんは「80代からの可能性は、全然ないですね」と、淡々と。「1日句作をしないと、取り戻すのに2日かかる。でも今は月に1日くらいしか作りません」。10代から俳句を始め賞も受けたが、安保闘争に参加した1960年から20年以上、句作を中断していた。ランボーやマヤコフスキーの名を挙げ、「あらゆる文学の中でも詩は、世界を動かす火付け役になってきた。俳句は一度でもそんな役目を担ったことがあるだろうか」と厳しく問いかけた。
革命だけでなく、「老い」や「死」も重要な詩のモチーフになりえる。それらと切実に向き合う80代にはきっと、80代しか詠めない俳句が生み出せるはずだ。(樋口大二)=朝日新聞2019年2月20日掲載