「産後うつ」を救ったティファニー・ハディッシュの笑い
――2017年に公開されたコメディ映画「ガールズ・トリップ」。映画は黒人女性版「セックス・アンド・ザ・シティ」や「ハングオーバー」とも言われ、全米で大ヒットを記録した。本作でクイーン・ラティファやジェイダ・ピンケット=スミスといったスターたちに負けない輝きを放っていたのが、ティファニー・ハディッシュだ。映画のキャラクター同様、天衣無縫でハチャメチャに面白いティファニーは、瞬く間に全米で大人気に。2018年には米タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出、自伝のオーディオ・ブック(本人による朗読版)は2019年の第61回グラミー賞にもノミネートされ、話題を呼んだ。翻訳者、大島さやさんも彼女のコメディと人間的な魅力に魅せられた一人だ。
ティファニー・ハディッシュを初めて知ったのは、ちょうど彼女がブレイクした2017年。私が出産して1年半ほど経ったころでした。シンガポールに移住して頼れる家族も夫だけという状況で、大好きな仕事もセーブして24時間育児をしていたら、精神的に参っちゃったんです。そんな中で唯一の気分転換が子どもを寝かしつけた後のNetflixとYouTube動画。TVのリモコンとスマホが「私と世界をつなぐ唯一のカギ」でした。
ティファニー・ハディッシュのインスタグラムより
ある日、子どもが寝た後の暗い部屋の中、一人でアメリカのトーク番組「ザ・デイリー・ショー」を観ていたら、ゲストにすごく魅力的な黒人女性が出てきたんです。それがティファニー・ハディッシュとの出会いでした。
番組では、出版したばかりの自伝『The Last Black Unicorn』(『すべての涙を笑いに変える黒いユニコーン伝説』の原書)についてティファニーが語り、そのトークに爆笑しつつ、いつの間にか彼女の魅力にどんどん引き込まれていきました。「大きな声で笑うと内臓がマッサージされて、明るい気持ちになれるじゃない?」っていう言葉に、それまでずっと真顔だった私はハッとしてしまって。
その後すぐに番組で紹介されていた自伝を取り寄せて読み、「日本版は絶対に私が翻訳するんだ」って、強く思いました。書籍の翻訳経験はそれまでなかったんですが、自分で企画書を書いて、出版社に売り込んで……。「とにかくティファニー・ハディッシュの魅力を日本の読者に伝えたい!」という一心でしたね。
母親の事故で施設や里親家庭を転々としたハディッシュ
――自伝で語られるティファニーの幼少期は過酷だ。幼いころ父が蒸発し、貧困とネグレクトの中で育ったこと、中学三年生まで文字が読めなかったこと、母の再婚相手からの虐待、交通事故に遭った母が子育てできなくなり里子に出されたこと……。彼女はティーンエイジャーになると、人生をサバイブする術としてコメディの世界へのめりこみ、ステージへ立つようになっていく。
自伝の中で特に印象的なのが、ママへの変わらぬ愛情ですね。母親が交通事故に遭って脳にダメージを受け、暴力を振るうようになってしまう。それでも彼女は「ママのことが大好き」なので、切ないんです。結局、母親が精神科に入院してしまったため、ティファニーは児童養護施設から里子に送られることに。このあたりの経験は癒えない傷として彼女の中に残っていると思います。
日本でも児童虐待が問題になっていますが、アメリカでも同じ。虐待家庭から保護されると里子として養育されるんですが、そこが必ずしもきちんとした家庭とは限らない。自伝にもありましたけど、保護された先で性的虐待を受けることもあったり。原書を読んで驚く部分もありました。
そんな過去を経て、成功した彼女がすぐに立ち上げたのが「シー・レディ基金」。彼女の公演チケット1枚につき、50セントが基金に寄付される仕組みです。そこから里子たちに寄付されるものの一つがスーツケースなんです。アメリカの里子って保護されるときに、大きなゴミ袋に私物を入れるように言われることが多いんです。ティファニーも「ゴミ袋を引きずって施設や里親のところを転々としていると、ゴミみたいな気持ちになる」って、みじめな記憶がずっと残っている。でも、スーツケースがあれば私物を大事にできるし、カギもかけられる。自身の経験から、今はそういう活動もしているようです。
――辛い経験が真摯に語られる一方で、「史上最低の元カレ」やハンディキャップを持つ同僚とのデートのエピソードは、抱腹絶倒モノ。数々のステージで磨き上げられてきた彼女の「鉄板ネタ」なのだろうと想像できる面白さだ。弾けるような語り口は映画「ガールズ・トリップ」の破天荒なキャラクター、ディーナのおしゃべりを間近で聞いているようで、思わず一気読みしてしまう。
原書は、本当にスラングだらけ。黒人女性のおしゃべりの雰囲気をそのまま日本語でも感じられるよう、試行錯誤しました。担当編集者も「日本語ラップみたいにしましょう!」って提案してくれたので、文章のリズムや息づかいを工夫しています。
私自身、ティーンエイジャーのころからヒップホップが大好きで、15歳でアメリカに留学したのも「ラップが聴き取れるようになりたい」っていう動機だったんですよね(笑)。アメリカでできた友人も黒人とかヒスパニック系の女の子ばかり。ティファニーの自伝を初めて読んだとき、黒人の女の子たちがたまり場にしていたヘアサロンでのガールズトークを懐かしく思い出しました。
特に力を入れて翻訳したのは、航空会社のチケット・カウンター勤務時代の同僚、ロスコーとのデートの章! この部分はめちゃめちゃ面白くて不思議な感動も味わえるので、ぜひ読んでいただきたい。超絶ダメ男の元カレとのエピソードも最後はスカッとして大笑いできます。
「お股は閉じて!」男社会を生き抜くハディッシュの強さ
――コメディークラブでの下積み時代は車に寝泊まりし、37歳でブレイクという「遅咲き」のキャリアを持つティファニー。自伝の後半では「女が仕事で成功すること」の難しさとトラブルの乗り越え方について、熱くアドバイスする。
彼女がずっとやってきた「スタンドアップ」ってマイク一つで舞台に立つ漫談スタイルのお笑いで、社会や政治の風刺とか、自分の経験談を語って観客を笑わせるんですね。日本の女性コメディアンがよくやるような「こういう女いるよね、あるある」みたいなお笑いってアメリカではあんまり見たことがない。「周りからどう見られているか」ではなくて、「私はこう思う!」「私はこうだった!」って、常に軸が“自分”にあるんです。もしかしたら日本だと「都々逸」がティファニー・ハディッシュ的かもしれない。都々逸も三味線一本でひとり舞台に立って、女の人生の痛みを笑いに変えて伝えるスタイルだから。
30代後半でブレイクを果たすって「アラフォーの希望の星」ですよね。そこに至るまでは、ホームレス時代があったり、ステージでスベりまくったり、業界の権力者からパワハラやセクハラを受けたり・・・・・・。いろいろ苦労してきたわけです。
でも下積み時代、仕事と引き換えに肉体関係を要求されても彼女は絶対に応じなかった。自伝では「絶対に女を使っちゃダメ。お股を閉じていれば、もっと多くのチャンスが巡ってくる」とアドバイスしています。セクハラやパワハラにビシッとやり返す彼女の姿を見て、胸がすく思いをする読者もたくさんいると思います。
ただのティファニーじゃない。自分の殻を破って、より自分らしい自分になること。〜中略〜 ありのままの自分でいるだけではまったく足りなかった。『すべての涙を笑いに変える黒いユニコーン伝説 世界をごきげんにする女のメモワール』(CCCメディアハウス)より
ここ数年は、「アナと雪の女王」の「Let it go」に象徴されるような「みんなクローゼットから出て、ありのままの自分を許してあげよう」っていうのがムーブメントだったと思うんですよ。「Let it go」は女の痛みを歌い上げた曲。あの時期の私たちにはあれが必要だったんですよね。でもティファニーの自伝の最後にあるメッセージは、「それだけじゃ足りない」。自分の人生をよりよく生きるためには、殻を破ってその一歩先を目指さなきゃって。時代は変わりつつあるな、って感じました。
ティファニー自身もスタンドアップの舞台はもちろん、女優としてもキャリアを重ねて成長していきたいと思っているみたいです。自分の「当て書き」のような面白キャラクターから脱皮して、シリアスな役にも挑戦するようですね。本人は「50歳までに映画に50本出たい」って公言しています。
まるで「女が一生に出合うトラブル全部乗せ」みたいな本書ですが、それだけに人種や国籍に関係なく、どんな女性も必ずぶつかるような普遍的な問題に対するヒントが詰まっている。産後うつ寸前の私がティファニーの笑いに救われたように、日本の読者も彼女にパワーをもらってほしいですね。