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「濃霧の中の方向感覚」書評 相互依存が支える自立的な生

評者: 齋藤純一 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月16日
濃霧の中の方向感覚 著者:鷲田清一 出版社:晶文社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784794970664
発売⽇: 2019/02/01
サイズ: 19cm/348p

危機の時代の知性とは、方向感覚を保ちつづけること。社会、政治、文化、教育、震災などの領域において、臨床哲学者がみずからの方向感覚を研ぎ澄ませながら綴った思索の記録。『中日…

濃霧の中の方向感覚 [著]鷲田清一

 私たちの生にはさまざまに多様なものとの関係が折りかさなっている。この理解が、朝日新聞連載中の「折々のことば」と同様、本書に編まれたエッセイの基調にある。
 多様な関係には、いま生きている他者との関係だけが含まれるわけではない。過去や未来の「不在の他者」たちとの関係、身体の複数のリズムとの関係、日頃からつかっている物との関係もまたそうである。著者によれば、こうした関係においても、一方的、操作的ではないものをいかに築いていくことができるかが切実に問われている。
 というのも、そうした相互性のある関係がいたるところで絶ち切られ、「相互遮断」、「排他的応酬」が支配的になってきているからである。「一つの論理」、「同じ一つの物差し」によって囲い込まれるとき、私たちの生は縮こまり、凝り固まる。
 著者は一方で現状をそのように見ながらも、切り離されようとしている関係を結び直し、それを対話的なものに向けて再編しようとする試みが現れていることに注目する。「複業」というアイディアはその一つである。「暮らしの場」での複数の仕事は、「生業(なりわい)をつうじての交際」の回路を開く。日々の時間はただ一つの勤労とその余暇に切り分けられることなく、生活と仕事、仕事と社会も互いに連続したものになっていく。複業は社会的な協働を実感できるものにしていく。
 「途中」、「冗長」、あるいは「余韻」など、無駄のように思われ、切り詰められがちなものこそが、短絡・省略の合理性では得られない、多層的、多時間的な充実を導く。
 私たちの生は何か単一のものに閉じ込められるようにはできていない。記憶も「独りのいとなみ」ではありえず、相互に依存しあえる関係こそ自立を支えている。無理やり閉じてきた「間(あいだ)」をどこでどう開いていくことができるのか。いろいろと思いを巡らしながら頁を繰りたい本である。
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 わしだ・きよかず 1949年生まれ。哲学者・京都市立芸術大学長。『「聴く」ことの力』『「ぐずぐず」の理由』。