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「夢も見ずに眠った。」 ロールモデルなき世代の夫婦像

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2019年03月16日
夢も見ずに眠った。 著者:絲山 秋子 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309027715
発売⽇: 2019/01/29
サイズ: 20cm/299p

夫を熊谷に残し、札幌へ単身赴任を決めた沙和子。だが、大津で久しぶりに再会した夫に欝の兆候が。そして物語は函館、青梅、横浜、奥出雲へ…。土地の「物語」に導かれたふたりの人生…

夢も見ずに眠った。 [著]絲山秋子

 著者は、際立った特徴を持たず小説に取り上げられないような地方の土地の魅力を描き出すのが実に巧い。『薄情』は北関東が舞台だったが、本作は岡山からはじまって、埼玉、大津、遠野、江差、松江など主に旅先が描かれ、地元と〝よそもの〟についての考察が効果的かつ新鮮だった小説世界が、さらに更新された印象がある。
 第1章は、30代半ばの夫婦である「高之」と「沙和子」が、岡山県倉敷に向かうはずだったのを、高之が笠岡の「カブトガニ博物館」に行くことを提案し、予定変更を嫌がる沙和子が一人で倉敷に降りてしまう、という諍(いさか)いから始まる。それでもカブトガニとの対面を果たした高之は、メスが前でそのお尻にオスがつかまった恰好で番(つがい)となっている生態に目を留める。オスがメスを押している、とも、オスがメスに引っ張ってもらっている、とも見えるそのイメージが、本作全体をおおっているかのようだ。
 高之は婿養子となって熊谷にある沙和子の実家に住んでいるが、仕事が長続きせず、沙和子は職場で出世して札幌に単身赴任する。そこから、すれ違いがどうしようもないものとなり、高之が鬱を患ったこともあって離婚する。その経緯からは、〈ロールモデルが絶滅しちゃったんだよなこの国は〉という実感を持って生きている世代の夫婦像がリアルに伝わってくる。
 時系列を追った(途中に高之と沙和子の学生時代の章が挟まるが)全12章からなる物語は、間に東日本大震災が起こっているものの、それが直接的に描かれることはなく、それよりも、あの日のことを底に沈めた日常や空気感、社会への微かな違和感のほうを丁寧にすくい取ろうとするかのようだ。その姿勢がことのほか貴重だと感じられる一方で、震災前にはなかったと思われるLINEが、冒頭の2010年の章に出てくることに、震災前後の時間の記憶の揺らぎを見る思いもした。
    ◇
いとやま・あきこ 1966年生まれ。作家。「袋小路の男」で川端康成文学賞。「沖で待つ」で芥川賞。『末裔』など。

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