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「湘南」って一体どこなの? 「『湘南』の誕生」増淵敏之さんに聞く

文:宮崎敬太、写真:有村蓮、地図:前川明子

湘南は唯一無二のブランド力を持ちながら曖昧な場所

――「湘南」というと、一般的には神奈川県横須賀市から大磯町までの相模湾に面した海岸線を走る国道134号線の逗子市から茅ヶ崎市までの区間を指すことが多いですね。ちなみに僕は鎌倉市出身なので、「湘南」は鎌倉市と藤沢市だと認識しています。

 鎌倉は「湘南」の中でもコンテンツの舞台になることが特に多いので、地元の方はそう感じるでしょうね(笑)。でもサザンオールスターズが好きな人にとっての「湘南」は茅ヶ崎だし、石原裕次郎や加山雄三が好きな人にとっては逗子や葉山なんです。でも歴史的に「湘南」という地名が発祥した場所は、「著盡湘南清絶地」と書かれた石碑がある大磯町の俳諧道場「鴫立沢」と言われています。

――では「湘南」はどこなのでしょうか?

 僕は、今挙げた全ての土地が「湘南」だと思っています。なぜなら世の中の人が考える「湘南」は、場所ではなくイメージだからです。そしてそのイメージは湘南を舞台にしたコンテンツから作られた。そういう意味では「湘南」は本当に不思議な場所ですよ。場所の概念は曖昧なのに、強固なブランド力がある。こんな場所は日本のどこにもないのではないでしょうか。

――もう少し詳しく教えていただけますか?

 「湘南」という地域で意外と重要なのは鎌倉ですかね。まず歴史がありますからね。そして20世紀前半から半ばには、芥川龍之介、川端康成、大岡昇平、澁澤龍彦など、錚々たる作家たちが鎌倉に居を構えて鎌倉文士と呼ばれました。だけど現在のみなさんが考える「きらびやかな湘南」というイメージが生まれたのは1970年半ばです。その前身には石原慎太郎が50年代に書いた『太陽の季節』や『狂った果実』の存在があります。これらの作品の舞台は逗子。「太陽族」というムーブメントが生まれ、「湘南」に富裕層と青春のイメージが定着します。そして70年代になると「湘南」を歌う荒井由実や、「湘南」が地元のサザンオールスターズが誕生する。こうしたシンガーソングライターたちの存在感と楽曲は、すでに定着していた「歴史がある古都で、文士たちが好むハイソサエティな土地」というブランドに、「きらびやかな湘南」という新たなイメージを付与したのです。これらを「POPEYE」みたいな雑誌メディアが拡大解釈して広めたんです。そしてこの段階で「湘南」のイメージはすごく重層的で、場所の概念も曖昧になってるんだけど、そこをベースに80〜90年代になって「湘南」を舞台にした素晴らしいマンガがたくさん登場するんです。

――『湘南爆走族』『スラムダンク』『ピンポン』などですね。

 そうですね。あと『GTO』の前身になった『湘南純愛組!』とかも。『ピンポン』は少し違うけど、『湘南爆走族』『スラムダンク』『湘南純愛組!』はすべてヤンキーマンガなんですよ。それで「湘南」の青春像にヤンキーという概念が加わりました。中でも重要なのは『スラムダンク』。日本はおろか、世界的な大ヒットとなりました。これが「湘南」というイメージを形成する一つの要素になったんです。

――なぜ湘南はさまざまなコンテンツの舞台になりうるのですか?

 海があり、東京から近く、歴史もある。象徴的なモチーフがたくさんあるから、作品の舞台やテーマにしやすいんでしょうね。あとこの土地はコンテンツがコンテンツを呼んでいるようなところもあります。コンテンツから派生したイメージをベースに、また新たな創作が生まれる。長い年月をかけたコンテンツの連続性が「湘南」ブランドをどんどん強固に肉付していったんだと思います。

――そう考えると「湘南」は本当にユニークな地域ですね。

 うん。だから「どこからどこまでが湘南なのか?」みたいな議論はあまり意味がないのかもしれません。それぞれが勝手に解釈すればいいのだと思いますね。大事なのは「同じ文化圏にいる」ということではないでしょうか。そしてその感覚こそが「地域に根ざす」ってことなんじゃないかな。だから僕は地域というものは、市や区の境で明確に区切られるものじゃないと思ってます。

地方でコンテンツを作ってる、志のある人をサポートしたい

――増淵さんが提唱されているコンテンツツーリズムとはどんなものですか?

 いわゆる聖地巡礼です。好きな作品に出てくる場所に行きたいっていう観光行動の一種です。今は外国人旅行客のインバウンドを見込んだビジネスモデルみたく言われてますけどね。僕はもともとFMラジオ局やレコード会社で働いてて、その後いろいろあって地理学の勉強をするようになりました。そんな経歴もあって、コンテンツが介在した人間の空間移動に興味があります。もっと簡単に言えば、コンテンツのファンたちがそこに行きたいと思う理由を知りたいんです。

――それはやはりコンテンツへの純粋な愛なのではないでしょうか?

 まさに。そこで僕は「愛されるコンテンツはどのように生まれるのか?」と考えたんですよ。いろいろ調べてみると、そういったものは地域に根付いた人たちやその土地に強い思い入れのある人が創作してる場合が多かった。それで僕は地方でコンテンツを作ってる人をサポートしたいと思ったんです。僕自身、以前北海道のFM局で番組制作をしてた時、常に東京という天井を見ながら仕事をしてる気分でしたから。

――どういうことでしょうか?

 東京にいる人はわからないかもしれないけど、地方の人間からすると東京は大きな壁なんです。例えば、東京のテレビ局が作った番組の多くは全国ネットになりますよね。だけど、逆はなかなかない。そういう状況でも良い番組を作り続けるのって、結構大変なんですよ。でもテレビ番組に限らず、地方に根ざしたコンテンツ作りをしている人は少なからずいるんですね。だから僕はそういう志のある人を手助けしたかったんです。

――具体的にどんな手助けをしたのでしょうか?

 コンテンツを作ってる人が支援してもらえるように、地域活性という視点から行政と話をするんです。でもとにかく話が通じない(笑)。みんな「ゆるキャラを〜」とか「こういう地域ブランドが〜」とかおっしゃる。でも『スラムダンク』や「君の名は。」で起こってる聖地巡礼は、そういうお役所仕事では再現できないんですよ。ましてや湘南みたいな場所を他に作ることはできない。そういうことを知ってもらいたくて、場所とコンテンツの関係性をこの本で掘り下げたんです。

大谷翔平や菊池雄星を生んだ岩手の「人を育てる」土地柄

――「コンテンツと場所」という視点で、増淵さんが湘南以外に注目している土地はありますか?

 岩手かな。あそこは地域から生まれた人をすごく大切にしてる。この前、北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督の記事を読んだんですよ。そこには、栗山監督が花巻東高校の大谷翔平くんをドラフトで強行指名した経緯が書かれてて。あの時大谷くんはメジャー行きも噂されてたんですよ。栗山監督はドラフト会議の前日に、中尊寺の金色堂に行ってたんだって。なんでかというと、キャスター時代に花巻東高校をよく取材してて、そこで「黄金の国、いわて」と書かれた黒板を見つけて、さらにそこには花巻東高校野球部の佐々木洋監督の「黄金とは人なんだ」というメモが添えてあったのを見たかららしいの。つまり、金色堂に行くことで人を育てる岩手という土地の空気感を理解したかったんだって。でもこれは本当に大げさな話じゃないと思う。

――人間を「置換可能な労働力」のように捉える昨今の流れを考えるとすごく良い話ですね。

 でしょ? 盛岡市先人記念館に行った時に、それをものすごく顕著に感じたんですよ。その施設では、盛岡市から出てきた名のある130人を顕彰してるんですね。普通の感覚だと盛岡の二大巨頭は、宮沢賢治と石川啄木なんです。でも、そこで大々的にピックアップされてるのは新渡戸稲造、米内光政、金田一京助の三人だった。学芸員さんに「なんで?」と聞いたら、「盛岡ならこの3人なんです。宮沢賢治のことを知りたいなら、花巻の賢治記念館に行ってください」と(笑)。つまり土地の名士をコンテンツとして考えてるんです。無理して作ったゆるキャラなんかより、地元の偉人の魅力をしっかりと伝えるほうがよっぽどリアルですよ。そして、そういう土地柄から大谷翔平や菊池雄星が出てきたのは偶然ではないと思ったりもします。

――湘南にも言えることですが、短期的な視点ではなく長いスパンで育てることが大事なんですね。

 本当にそう。僕は地域から発信されるコンテンツ、そしてそのコンテンツで発展する地域というモデルを作りたかった。それで北海道の岩見沢市に作家の氷室冴子さんを再評価すべきだと提案したんです。でも最初は全然相手にしてもらえなくてね。「氷室冴子なんて今の人誰も知らないでしょ?」「今の人は共感しないよ」みたい感じで、5年くらい全然進まなかったんです。それで音楽業界時代の友達がMount Aliveというイベント制作会社の社長をしてたので、相談しに行ったんですよ。彼は「RISING SUN ROCK FESTIVAL」のプロデュースをしていた人で、今は岩見沢で「JOIN ALIVE」というフェスをやってる。その彼がいろいろな人と繋いでくれて、ようやく回るようになった。

――具体にはどのような形になってんですか?

 「氷室冴子青春文学賞」を作ったんです。そしたら辻村深月さんが審査員をしてくれて、エブリスタという小説投稿サイトと組んだら800作品も集まったんだ。岩見沢ってこれといったものがない町だけど、こうしたコンテンツがあることでメディアに露出できる。でもコンテンツというのは簡単に作れるものじゃない。この文学賞だって、氷室冴子という長い年月をかけてひとつの時代を作った人がいたからこそ成立した。岩見沢の人たちは、「岩見沢に氷室冴子という時代を作った人がいた」という事実を忘れちゃいけないと思う。そして彼女の名前を借りて新しい才能を発掘することに意味があるのだと思います。

地元出身の作家を正当に再評価することの重要性

――自分たちの地元と真摯に向き合うことで、何かしらのコンテンツは生まれ得るということことですね。

 ずいぶん前に北海道の紋別郡遠軽町の人から「機動戦士ガンダム」で町おこしをしたいと相談されたんですよ。ガンダムのキャラクターデザインをした安彦良和先生が遠軽町出身だからって。でもね、僕はそれはちょっと違うと思ったんです。だって、ガンダムのキャラデザインは安彦先生の仕事の1つでしかない。そうじゃなくて、遠軽町は安彦良和を1人の作家として再評価しなくちゃいけないと思います。だから僕はまず町の図書館が安彦先生のコーナーを作ってくれたことを喜びました。

――安彦良和先生は「機動戦士ガンダム」以外にも、『ナムジ』や『王道の狗』など素晴らしい作品を描かれていますからね。

 そうなんですよ。やっぱりまず地元の人には安彦先生の仕事を知ってもらいたいじゃないですか。そしたら2013年に遠軽高校が21世紀枠で甲子園に出る時、安彦先生からアムロとシャアが「遠軽高校がんばれ」と言ってる直筆の色紙が届いたんですよ。しかも、フラッと遠軽町に来て「遠軽高校の美術部って夏は何してるの?  1日くらいならマンガの描き方教えるよ」って言ってくれたということを聞きました。それが高じて、遠軽町のホームページの「えんがる歴史物語」というコンテンツのイラストを描いてくれたんじゃないですかね。

――この「えんがる歴史物語」は普通にめちゃくちゃかっこいいですね。

 そう。遠軽町にしろ、岩見沢市にしろ、基本的にはこれといったものがない町なんですよ。だけどちゃんと土地の歴史や人と向き合えば、素晴らしいコンテンツを作ることができる。そして大事なのは時間をかけることでしょうね。「えんがる歴史物語」を積み重ねることで徐々にイメージが作られてく。湘南のような特殊な場所ですら、いまのブランド力を付けるには何十年もの時間を必要としたんですから。付け焼き刃では人を動かすキラーコンテンツは生まれないように思います。