金栗四三さんは日本人初のオリンピック選手です。1912年、スウェーデンのストックホルムで開催された第5回オリンピックにマラソン選手として参加しますが、慣れない環境と暑さのために意識を失い、コースを外れてしまいました。そのまま競技に戻らなかった金栗さんは、レース中に「消えた」オリンピック走者として語られるようになります。
わたしが金栗さんの数奇な人生に、関心を持つようになったのは、近代オリンピックの父・クーベルタンについて調べていたときのことでした。そして金栗さんが走ったコースを、ぜひこの目で見てみたいと思うようになったんです。
取材で何度かストックホルムを訪れ、金栗さんが迷いこんだペトレ家の方にも話を聞くことができました。彼はペトレ家に介抱してもらったことを深く感謝していて、帰国してからもこまめに手紙を送っています。自分は今こんな仕事をしています、最近こんな活動をしました、という報告を生涯続けたんです。ペトレ家の方々は、その誠実で実直な人柄に、とても感動していました。
『消えたオリンピック・ランナー 金栗四三ものがたり』はわたしのノンフィクションを原案に、その人生を絵本にしたものです。ストックホルム・オリンピックで欧米選手との体力差を実感した金栗さんは、帰国後、日本のスポーツレベル向上のために尽力します。箱根駅伝や福岡国際マラソンなどのレースを創設し、正しいスポーツ知識普及のための活動を行いました。また女性のスポーツ参加の重要性を説き、競技のための運動場や公園の整備を主張します。金栗さんのこうした活動によって、日本のスポーツ界は大きく発展を遂げたのです。この絵本を読むと、金栗さんの人生は「消えた」後こそが大切だと分かってもらえると思います。
マラソン走者として見ると、金栗さんは不遇だったかもしれません。競技人生のピークにあたるベルリン・オリンピックは第1次世界大戦のため中止となり、続くアントワープ、パリでも満足のゆく結果を残すことができませんでした。しかし金栗さんは、自分が不幸だとは考えていなかったでしょう。彼にとって日本のマラソン界発展のために尽くすのは、自分が走るのと同じくらい大切なことだったからです。オリンピック初出場時、選手団長の嘉納治五郎さんに言われたとおり、彼は「黎明の鐘」として生きたのです。
67年、スウェーデン・オリンピック委員会は、粋な計らいをしてくれました。55周年の記念行事として、彼を招待したのです。ゴールテープを切るという感動的なセレモニーが行われました。金栗さんは75歳になっていました。
同国オリンピック委員会は、金栗さんが帰国後も選手として、指導者として、懸命に走り続けていたことを見てくれていたんですね。人生には思い通りにいかないことが多々ありますが、ゴールへの道のりはひとつではない。失敗をバネに、人生というマラソンを見事走り抜いた金栗さんからは、小学生はもちろん、大人も教えられることがあると思います。ぜひ親子で読んでいただきたい絵本です。