このあいだ、今までどれだけの海外を渡航したのか訪れた国の数を数えてみた。46カ国だった。自分で言うのもアレだが、まぁまぁすごい数である。よくこれだけ旅に出たなとしみじみする。「よく海外に行っている人」というイメージが定着してきたからか、「今、日本にいますか?」といった連絡をたまにもらうことがあるが、一番多いのは「おすすめの国を教えてほしい」という質問だ。
その質問に私は、ちょっと考えたフリをしてから、「トルコ」と答えることが多い。「トルコ?」と大抵聞き返される。「そう、トルコ。だってね」。そして、私のトルコ愛を語り出す。
私がトルコを初めて訪れたのは大学2年生の春。トルコとエジプトをめぐる14日間の学生限定パックツアーに、中学・高校時代の親友と2人で参加した。イスタンブール、トロイ、イズミール、エフェソス、パムッカレ、カッパドキア、コンヤ、アンカラ…。トルコの都市をワゴン車で周遊した。ご飯も美味しいし(トルコ料理は世界三大料理の一つだ)、人懐っこい人が多いし(トルコでは非常にモテる私だ)、自然も文化も歴史も興味深く、旅に求める全ての要素が合格点だった。あの旅は、きらきらと自分の中に残る、大切な宝になった。
それで、昨夏、ルーマニアの旅行帰りに数日の猶予ができたので、イスタンブールの街に3泊することにした。10年前と比べて、トルコをめぐる環境は変わった。テロも起こった。あの日のトルコはもうないかもしれないと半分思いながら、でもやっぱりトルコが好きだと言い続けたくて、イスタンブールを選んだ。
イスタンブールにある巨大な屋根付き市場・グランドバザール。アジアとヨーロッパの文化が絶妙に混ざり合ったトルコの雑貨やスパイスなどが売られているお土産物の市場だ。10年前の熱気はそのままに、多少変わったとすれば品物に値札がついたことぐらいだろうか(言い値で交渉していくのがバザールの面白みであったのだけど)。ビーズのブレスレットが可愛かったので熱心にみていたら、店員の青年にとても流暢な英語で話しかけられた。
「気に入ったかい?いくつか買ってくれればおまけしてあげるよ」
そんな普通の会話から始まった。「とても英語が上手ですね」「ありがとう、僕はトルコ人じゃないからね」「どこ出身なの?」。聞けば、シリアのアレッポ出身の青年だった。シリアから難民としてトルコにやってきたという。ニュースではもちろん見聞きしていたけれど、私にとっては初めて出会った“シリア難民”だった。彼は家族とともに命からがら祖国を離れ、トルコに住んでいると身の上話を語ってくれた。淡々と話す彼。何度も話してきたことだったのかもしれない。それに対して、私はただただ聞くことしかできなかったが、せめても、と思ってブレスレットを20本ぐらい買った。それぐらいしか思いつかなかった。
角田光代の『大好きな町に用がある』(スイッチ・パブリッシング)という本に出会った。雑誌「SWITCH」で2014年から2年に渡って掲載された連載をまとめた本で、角田さんの旅の記憶が詰まっている本である。そのあとがきにこんなことが書かれていた。
ようやくわかった私にとっての「旅の醍醐味」は、世界がどんなに複雑になっても、未知ではなくなっても、パラレルになっても、垢抜けても、変わることがない。一泊二日の旅でも、一週間の旅でも、旅にさえ出れば、たいていそれは見つけられる。私の旅の醍醐味は、旅しなければぜったいに会うことはなかった人と、ほんの一瞬でも笑い合えたり、言葉を交わしたり、笑みにも言葉にもならない何かを交換したり、することだ。そんなちっぽけなことが私にとっての旅の醍醐味で本当によかった、と今思う。二十四歳のときの旅と何ひとつ変わらない宝が、いともたやすく手に入るから。(156-157ページ)
あのシリア出身の青年との出会いを、どう語ろう。相変わらずのトルコ愛をどう伝えよう。旅の醍醐味として記録するには、もう暫く時間が必要かもしれない。