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抽象に挑む、幼子になるために 森田真生さん「数学の贈り物」

森田真生さん=伊ケ崎忍撮影

 数学の力を借りて人は、いつまでも幼子のようであることができるのだ――。
 こんな一節、どう受け止めますか。小さいころは算数が楽しかったのに、数学になったら抽象的でついて行けず……あらら、遠い目になってませんか。
 「数学はルールに縛られるから嫌いという人は多いけれど、より自由になるためのルールなんです」と著者の森田真生さんは朗らかに言う。例えば、好きに踊っていいと言われ、後で映像を見返すと、悲しいぐらいに同じ動きをしている。能やバレエの型を教わると、バリエーションが格段に増すというのだ。「自由なはずが、実はすごく不自由なことがある。散歩する時、赤いものを見たら左折する、そんな謎のルールを課してみてください。決して行けなかった場所にたどりつけますよ」
 デビュー作『数学する身体』で小林秀雄賞を受賞。本書は、大学などに所属せず「独立研究者」として活動する森田さんの初エッセー集。2014年から5年にわたる、息子の誕生と成長、住まいを構える京都での季節の移り変わりなど、およそ数学とは縁遠そうな出来事から、数学的思考が組み立てられる。
 数学は世界中で存在したが、測量など実用的な側面が強かった。ところがヨーロッパでは五官には感じ得ない概念や操作を生み出し、意味のフロンティアを切りひらく特殊な発展を遂げたという。「宇宙空間も、こころの働きも、数学的な言語でその一面を語れるまでになった」
 一方で数学的な認識を突き詰めることで、こぼれ落ちるものが見えてくる。人工知能の研究は進むが、コンピューターは一向に人間らしくならない。身体が必要ではないか、ノイズにまみれていることが大事ではないか、そんな議論がなされている。「人間は環境に編み込まれた存在である。当たり前に思えるけど、数学的な思考ならば自覚的に説明できるんです」
 ユークリッド、デカルト、空海、芭蕉……毛色の違った古今東西の先人たちが同居する本書は、そんな思索の跡を物語る。数学という抽象的で西洋的な世界に、日本的な情緒が息づく。不思議な風景を見せてくれる。(文・宮本茂頼 写真・伊ケ崎忍)=朝日新聞2019年3月30日掲載