小説執筆の際、私は音楽を聴くようにしている。
書くことを仕事にしていると、頭の中にある映像を描写しなければならないのに、その世界にうまく没入出来ないという事態にしばしば直面する。そういった際、情景に合致した音楽を流すと、自然に筆が進むのだ。だからこそ、CMソングやドラマのBGMでも「お! この曲はあのシーンに使えるかも」「今の曲を聴いたらこんな映像が見えたぞ」と思った時には、躊躇わずその音楽を購入するようにしている。
私がそうするようになった切っ掛けは、高校の時に友人から初めて借りた、一枚のCDであった。
同じミュージカル部に所属していたその子は、今まで出会ったことのないタイプで、私にはないものを持っていた。音大志望で、将来は作曲家になりたいのだと語っており、ピアノがとても上手だった。予餞会において自作の音楽を披露したり、私の家に遊びに来てくれた際には即興で弾いてくれたりもした。私の書いた小説を真剣に読んでくれた数少ない友人のうちの一人でもあり、お互いに頑張ろうと、よく励ましあったものだった。
私は演じること、歌うことが好きでミュージカルをやっていたものの、実は音楽自体にはそれほど興味があったわけではなく、若干の苦手意識すら持っていた。小さい頃に六年も習っていたピアノが、時間と月謝と先生の精神力を無駄に削っただけに終わったという、苦い経験があったためかもしれない。
それを聞いた彼女が、「これを聞いてみて」と差し出して来たCDこそが、久石譲さんの「シンフォニック・ベスト・セレクション」だった。
一曲目が、小さい頃から観ていた「風の谷のナウシカ」に出てくる「風の伝説」だったこともあり、最初に聴いたその時から、不思議な親しみを感じたのを覚えている。その他の初めて聴いた曲ですら、何故か懐かしいような、切ないような気分にさせられて、何度も聴いているうちに、音楽から情景が浮かび上がり始めたのだった。
ちょうどその頃、私は松本清張賞に挑戦すると決めて、必死に小説を書いていた。デビュー後、大幅に書き直して出版した『玉依姫』という長編であるが、その情景の多くは、まさにあのCDから生まれたものであった。
『玉依姫』が書き終わり、賞が取れずに終わった後も、私は小説のイメージに合うCDを探すようになっていた。いつしか私の中で、音楽は執筆のお供に欠かせない存在となっており、現在に至るまで大きな力となってくれている。
このCDを聴くと、あの頃、彼女が私の家に遊びに来てピアノに向き合った姿を思い出す。『玉依姫』の冒頭にある雨のバス停のシーンをイメージし、即興で作ってくれた曲は、今でも私の宝物である。