私の母には、「娘を本好きにしたい」という野望があった。
とはいえ、押し付けるのは逆効果だし、読み聞かせの他に何が出来るかしらと考えた母は、一つの策を思いついた。
名付けて「お母さんに面白い本を教えて」作戦である。
「お母さんは小さい頃にあんまり本を読まなかったから、ちーちゃんが図書室で借りて来てくれた本を読むのがとっても楽しみなの。だから、ちーちゃんが面白いと思った本を、お母さんに紹介してね!」
そうニッコリと微笑まれて、自分は騙されていると気付ける六歳児がどれだけいるというのか。哀れ、単純だった私は大好きなお母さんのためと思ってせっせと図書室に通うことになり、母の計画通り本好きに育ち、最終的には本を書く側にまでなってしまった。
そんなこんなで、私には思い出深い本がたくさんあるのだが、その中でも特に忘れられない絵本がある。
それは、一匹のこねずみが独り立ちのために旅に出て、自分の家を探すという物語だった。繊細で美しい絵と、創り込まれた世界観があまりに素晴らしく、初見時に大きな衝撃を受けたことを覚えている。
ファンタジーの書き手として、「子ども向け」と「子ども騙し」は全く違うと思っているのだが、あの絵本には、子どもに対する侮りのようなものが一切感じられなかった。ページから世界の色が零れ落ちるようなディテールがあり、感動するほどに美しい絵本だったのだ!
ある程度大きくなり、もう一度あの絵本が読みたいと思った私はしかし、いくつかの図書館をめぐって愕然としてしまった。題名は『はじめての旅』だったと記憶していたのだが、不思議と、あの絵本はどんなに探しても見つからなかったのだ。
しかも、あれをどこで読んだのか、全く思い出せない。小学校の図書館だったような気もするし、地域の図書館だった気もするし、もしくは、幼稚園の読み聞かせだったという可能性もある。
私にとって、あの本は幻になってしまった――そうガッカリしていた高校生の頃、十八歳の誕生日に、両親からひとつのプレゼントが渡された。
それこそが、二木真希子さんの『小さなピスケのはじめての旅』であった。
私が探し求めていた、幻のあの本に間違いない。
小さなピスケの、が抜けていたために、どうしても見つけることが出来なかったのだ。
私は大喜びしつつも、ひどく驚いた。自力で探しても見つからなかったものが、どうして実物を知らない両親が見つけることが出来たのか。
聞けば、母が新しく出来た書店さんで「はじめてのたび」で検索を掛けてもらい、そこで出てきた本を、父が「これで間違いない」と同定したのだという。
「たまたまなんだが、お前がその本を読んでいたのを、覚えていたんだよ」
いい偶然だねと父は笑っていたが、先述したように、私は決して少なくはない数の本を借りていたはずである。注意深く私を見守ってくれていた父に感謝すると同時に、この絵本に対し、やはり浅からぬ縁を感じた。
何度読み直しても、『小さなピスケのはじめての旅』はうっとりするほど美しく、そして家探しのストーリーも本当に面白い。
幻の一冊ではなくなった今も、この本は両親との思い出と共に、私にとって特別な一冊となっている。